夢と過去と現在

気になった夢日記と
過去の記憶を書いて癒やしてみる(⁠•⁠‿⁠•⁠)
今のぼやきを書いてみる


ふりかえり

2021-09-29 05:26:20 | 昔の自分


専業主婦になり
時間がたくさんでき
終活を始めだし
アルバムを整理して


写真から思い出した過去の記憶


いろいろとわからなくて
我慢したことがこの年齢になり
やっぱりおかしかったんだと気づく


あのとき、我慢しなかったらと思う


でも我慢したから、今があるのか😃


ふとした時に我慢をした嫌なことが溢れる


それを、書き出してみている


まだまだもっともっとある



全部書きだして、こんな私の人生を
誰かが一緒にムカついてくれたら嬉しい😁


蓋をしてきた過去が
アルバムと一緒に思い出されている


あのとき、言える強さ
行動できる勇気があれば


そして、我慢したことはこんなにも
年月がたっても心に残るんだ


自分も無意識のうちに、誰かの記憶に残るような行動をしていたかもしれない


何十年もたっても
嫌な記憶として残るような…


そう考えると怖いな


楽しい良いこともたくさんあったのに
こんなにも嫌なことが出てくる




義姉

2021-09-29 04:53:21 | 昔の自分


旦那さんには姉が二人いた

一番上は、家を出ていた

二番目の姉が曲者だった


だんだんと、義姉は意地悪な部分が出てきて、それと同時に義母も意地悪に
なっていった



義姉は、自分の友達をよんでは
私をいちいち馬鹿にした


実家からタンスを一つ持ってきた


嫁入り道具なんて買ってもらえないから
古いタンスを持ってきた


そのタンス

引き出しの間と間に板がないものだった


私は、そんなに世間を知らなかったので
その板が間にないことを言われても
いまいちピンとこなかった



高いやつだとあるんだけどねと。
今思うと、何でわざわざ引き出しの間なんてみたんだろうね😩


初節句では、お嫁さんの親がお雛様買うんだよと義母と義姉に言われた


買ってなんて言えない


自分の親は、私の初節句の時に
お給料日にお雛様を買いに行ったと聞いていた


私の親は、自分たちで色々やってきた人だ


でも、お嫁さんの親が買わなきゃいけないと言われてしまったので

実家から
自分のお雛様を借りてきた


するとお姉さんは
同居している家に、お姉さんたちのお雛様があるから、2つもあったらいけないと今度は言ってきた


やることをなんでも否定された


仕方がないので、親に謝り
持ち帰った


その話を数年後に誰かに話したら
お雛様は、その子の身代わりなんだから子供の数だけあって良いもの

2つあるからいけないとか、そんなの
義姉の作ったでたらめだと教えてくれた


同居では、色々あったなぁ…


私がでかけている間に
義姉、義姉ダブルで
部屋が片付けられていることもあった


引き出しの中も開けたようで
色んなものが捨てられていた


独身の頃に、バイトしたお金で
自分で買った浴衣があった

それもどこかにやられてしまい
どこを探しても見つからなかった


旦那さんは、何も言わない人で
何もやらない人
子供のオムツも交換しなかった


仕事以外は、ずっとゲームをしていた


2日に一回、飲みに行き朝帰りを
半年ほど繰り返されたこともあった


旦那が帰らないところに
義姉と義母がズカズカ部屋に入り
あーだこーだ言われた


それが半年近く続いたときは
家出をしようと思った


でも、私には帰れる場所がなく
出ていく脅しのようなことしかできなかった


実家には、私がいられる場所がない


どこかアパートを借りるにも
若い頃、今でいうストーカーに
付きまとわられたこととかもあったり
ゴキブリが怖かったりで
一人で赤ちゃんを育てていくことに
自身がなかったし怖かったんだと思う


義姉が、勝手に子供を自分の部屋に連れていき、義姉の部屋にあった耳かきで子供が遊び耳にさしたまま歩いてしまい、鼓膜を破ったこともあった


義母も義姉も、小さい子供に
ミントのガムやらチョコやら
口から出したものも食べたせていた


義姉は、飼っていた猫の餌を
子供の離乳食のお椀であげたり
スプーンを使って混ぜたりした


その頃の私には、常識や非常識が
わからなくなっていた


私の育ちをよく言われていたので
私が間違っているのかとも思っていた


魚の食べ方は、育ちがわかるのよと
ずっと魚を食べるところを見られたこともあった


そういう私の母親は、料理が苦手で嫌いな人だったので
私は焼き魚を一人で一枚食べたこともなかった


そういう風に言われたときは、焦り
どう食べたのか覚えていないけど


嫌味を言われたことは覚えている


色々と言われたなぁ…


つわりがあったときには、
暇だからだと言われ義母の職場の
内職を持ってこられた


難産で、時間がかかったときも
太りすぎたからだと言われた


今振り返ると、人権問題だ😅

フリーター 〜 結婚

2021-09-29 03:36:10 | 昔の自分


10代は、バイトをして家にお金を入れていた


ほとんど、帰らなかったけど
家のまわりにいた猫ちゃんにも
ご飯をあげてもらえるように
母親には毎月お金を渡していた


でも、足りないと貸していた


貸していたお金は返ってこなかった


たまに家にいたとき、自分の持ち物を自分のドレッサーにまとめていた
その中に日記帳も入れていた


あるとき、お風呂からあがったら
母親がそれを読んでいた


ショックで、その日から日記を書くのをやめ日記帳を捨てた


たまにしか帰らない娘の事を
知りたい気持ちもわからなくもないけど
ショックだった


もうずっと、帰らなくていい場所を探していた


バイト先で、同じようにフリーターで
親も夜中しか帰らない人がいた


居場所を見つけた気持ちになった


そしてその人に乗り換えるように
付き合い、3ヶ月で赤ちゃんができた


その彼は産むことに反対をした


私は、堕ろすという選択はなかった


母親も反対した


そんな中、父親だけは
お前が後悔するなら産め
俺が面倒みると言ってくれた


その言葉に彼氏と別れ産むことにした


その後、彼氏の母親も同居して産んでほしいといい、彼氏の気持ちも変わり
出産することになった


18歳から19歳になる頃だった


あとに、彼氏の母親は
私たちが同居することが好都合だったと知った


彼氏の父親は、長距離ドライバーだからたまにしか家に帰らないと聞いていたけど


実は近所で愛人と暮らしていた


彼氏の母親は、自分の職場の社長の愛人で同じく二人で過ごすアパートを借りていた


夜中に帰るのは、そういうことで
自宅からのほうが職場が近く
子供たちの母親として、
父親から毎月10万をもらっていたので
家を出る訳にはいかないからだった


光熱費は父親で
母親は、食事なんて作らないし
まとめ買いした食材を冷蔵庫にいれ
各自が作るような感じだったらしい


それなのに、10万をもらっていたから
愛人とのアパートを借りれる訳だ


二人共、似たような夫婦だけど
母親のずる賢さが怖いと感じた



そんな夫婦は、別れない理由に
子供が成人するまでと言う約束が
あったらしい


彼氏が末っ子だったから、あと1年というところで、結婚してこの家にいれば
自分ももっといられると考えたのだろう


義母は、ずっとその家にいて
土地をもらってみんなで暮らそうと言っていた


初めは優しい義母だった


自分の親がお金を持っていなかったから
出産に必要なものを色々と買ってくれ
嬉しかった


休みの日も、パチンコに行こうと
妊婦はパチンコはでるのよと連れ出してくれ、ときどき楽しい時間を過ごしていた


彼氏には、姉が二人いた
小姑がふたり…




中学〜高校のころ

2021-09-29 03:06:02 | 昔の自分


中学三年生のころ
私は、あまり勉強をしていなくて
行ける高校が限られていた


その頃の担任は、大ベテランの
おばちゃんで
早く進路を決めたい人だった


三者面談で、散々母親はおどかされ
私立の高校を勧めてきた


仲の良かった友達も
皆それぞれ私立をすすめられ受験した


私は、そのころ将来の夢があった


美容師になりたかった


あまり自分の意志を言わなかった私だけど、そのときは私立に行くなら
高校の卒業資格がとれる美容の
専門学校に行きたいと伝えた

お金はバイトして返すからと
お願いをしたけど


母親に
反対された

専門学校なら、高校を卒業しても
行けるだろうと。


そして私立の高校に入った


もうすぐ夏休みって頃


学校から帰ると親が泣いていた
うちは自営で二人共、自宅で仕事を
していた


泣いている父親を見たのは
初めてだった


理由…

私だけに話すから兄と妹には
言わないでと言われた


聞くと、借金問題だった


母親があちこちから借りて
返済ができなくなった
年子の兄は都立の高校
私は私立の高校でお金もかかる
通学費用も、もう出せないと言われ
学校を辞めてほしいと言われた


私が入学する時の費用も
ぜんぶ借金だったと聞かされた


入学して3ヶ月たたない出来事だった


そこから、学校をやめてバイトを
することになった


バイトをしていたけど、母親からは
昼間変な時間にうろつかないで
欲しいと言われた

私が家に帰るのは夕方から夜になった


そして、母親にいつか美容師になりたいなら簿記の資格を撮ったほうがいいと言われ、簿記の学校に週一で
自分のバイトをしたお金で通うことになった


あとに、母親は世間体を考えて
簿記の学校に行っていると言えば
恥ずかしくないと思ったのだろう


家に帰れないので、遠くでバイトして
夜に家に帰った


家は小さな平屋を2件借りていた
仕事をする方の家と
子供部屋兼、寝る家


その一軒を何も知らない兄は
友達とのたまり場にしていた


そして彼女とのホテル代わりにも
していた


どんどんエスカレートしていき
週末にも占領するようになっていた


何も言えない親に
友達がくると喜んで飲み物を
毎日差し入れする母親


好き勝手な兄とは、いつの間にか
会話をすることはなくなっていた


ますます、自分の居場所がなくなり
夜中に家にお風呂と寝るだけに
帰るようになっていた


子供の自分

2021-09-27 17:15:05 | 昔の自分


今にして思うと、なんでと
おもうことがたくさんある


猫にご飯をあげていることは
きっと、誰にも言っちゃいけない


言ったら、怒られるとか
猫がいなくなっちゃうとか
思っていたんだろうな


子供のころ、猫に噛まれた
鳩を拾ってきたり
怪我したスズメを拾ったりしてきた


毛嫌いする母親に対し
父はいつも看病をしてくれた


元気になる子もいれば
死んでしまう子もいたけど

そんなとき、いつも父に


「もう、拾ってくるなよ」


と言われていた。
でも見つけてしまうと連れてきてしまう私に


父はよくやってくれたなと思う

感謝の気持ちでいっぱいだ


そんな父も、もういないけど。


すごい父親だったと思う


動物に対しての知識が多かった


今振り返って、父と話したいことが
たくさんあるな


その時どんな気持ちで
面倒をみてくれたんだろうな