頓子(とんこ)橋跡
佐伯中央農協平良支店前の可愛川にはかつて上画像のような木造の頓子橋が架かっていた。現在護岸には後の橋跡の痕跡がみられ、平良大橋が架橋された時
平良地区最下流域の田んぼ
平良地区のほぼ中央を流れる可愛川の東側にある最下流域の田んぼ(上画像)は平良1丁目18番にあり、柳庵川から取水しているようである。可愛川の西側にある最下流域の田
可愛川の一本橋(榎之窪新宮線橋)
江戸期絵図/明治33年(1900)地図可愛川に架かる一本橋(現榎之窪新宮線橋)で江戸期には潮音寺の裏手の小道からこの一本橋を通り串戸方面に行く近道で、西
可愛川に架かる今田橋
上平良地区の市道第2末森線で可愛川に架かる今田橋である。橋名は通常関係する地名などに基づいて命名されていると思われるが、江戸期の地誌や明治期
福佐売井手
可愛川に架かるJR山陽本線の可愛川橋梁のすぐ上手にかつての福佐売井手の取水口がみられ、可愛川最下流の井手口である。大正期の地誌に「福佐売井手ハ可愛町民ノ主要ナル
速谷橋架橋工事の今
時折り紹介している県道294号虫道・廿日市線の速谷橋架橋工事の進捗状況で、看板表示によると工期は今月末となっているが現場は画像のような状態で
雨後の川末川・長野川
雨の上がった早朝ウォーキング途中で、平良地区を流れる可愛川の上流部、川末川と長野川が合流するところをみると川末川は茶色の水が流れており、長野
可愛川の新・旧神路橋
可愛川に架かる新旧神路橋で、昭和5年(1930)に速谷神社参道の改修で橋が架けられ速谷神社に因んだ橋名神路橋と名付けられた。昭和26年(1951)のルース台風で流出して画像手前の
可愛川支流の長野川・川末川合流部
画像右側の支流が長野川で国道433号線の新森宗橋が架けられており、左側の支流は川末川である。合流部より下流は可愛川で江戸期の地誌には河井川、川合川とあり、大正期の地誌には速谷川と
速谷橋架橋工事の今
先日、橋梁の架橋工事が18日から行われるとの情報を頂いていたが訪れることが出来なかった。昨日訪れてみるとPC橋梁がずらりと並んで架けられていた。看板表示によると
速谷橋架橋工事の今
時折り県道294号虫道・廿日市線の速谷橋の架橋工事の進捗状況を紹介しているが、先日のウオーキング時には下流側のピアー上部に橋台の鉄筋が組まれてコンクリートの