江戸期絵図/明治33年(1900)地図
可愛川に架かる一本橋(現榎之窪新宮線橋)で江戸期には潮音寺の裏手の小道からこの一本橋を通り串戸方面に行く近道で、西国の大名行列は越垰垰(コイトウダオ)をさけて平らなこの小道を通っていたという。街道の街中では威厳を保つために槍持ち奴を先頭に行列していたのであろうが、街を出ると街道を外れた近道の小道を通るなどと現実的で滑稽でもある。現在はシビックコア地区整備などで小道は無くなっている。
江戸期絵図/明治33年(1900)地図
可愛川に架かる一本橋(現榎之窪新宮線橋)で江戸期には潮音寺の裏手の小道からこの一本橋を通り串戸方面に行く近道で、西国の大名行列は越垰垰(コイトウダオ)をさけて平らなこの小道を通っていたという。街道の街中では威厳を保つために槍持ち奴を先頭に行列していたのであろうが、街を出ると街道を外れた近道の小道を通るなどと現実的で滑稽でもある。現在はシビックコア地区整備などで小道は無くなっている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます