労働をしない者は社会保障や公的扶助、生活保護によって何らかの給付を得ているが、
あくまでもそれらの収入は補完的な位置づけにある。
つまり、福祉国家は基本的に労働による所得を前提とした上で成り立っているということだ。
しかし、長期の失業や非正規雇用化、ワーキングプアが出現する現在においては、
こういった福祉国家の前提が崩れつつある。
そこで、労働と所得を切り離し、無条件に所得が保証されるべきであるという
ベーシック・インカムの議論が近年注目を浴びているのだ。
もちろんこのような制度に対しては批判も多い。
例えば、「働いていない者に対してどうして給付をしなければならないのか」という意見がありうるだろう。
特に日本の場合、福祉国家というより企業を通じての社会統合が強かったので、
働くことではじめて富の再分配にあずかれるという意識も強い。
ベーシック・インカムの議論の中には、このような批判に対し幾つかの回答が出されている。
代表的なものとして、
「すでにある社会財の大部分が、自然と過去の経済から授っているものなので、
全ての人にベーシック・インカムが保障されるべき」とする主張がある。
そのほかに興味深いものとして、
「生きていること自体が労働である」という論がある。
「生存に対する保障が賃金として払われるべきでり、
その観点からベーシック・インカムを未払い賃金として要求する」主張だ。
上のような批判に加え、「給付の際には、何らかの条件を課すべきだ」という批判もある。
だが、このベーシック・インカムは無条件に与えられるというところに意味があるという。
なぜなら、そのことによって公的扶助や生活保護を受けている者に対するスティグマ(汚名)が解消されるからだ。
福祉国家における所得保障は、ふつう資力調査をパスしなければならない。
その調査により人は分類・序列化され、そうした序列に基づいて財が配分されるような編成となっている。
これに対して、ベーシック・インカムは、その無条件性のために、所得の給付にあたって諸テストを一切課す必要がない。
人はもはや、調査を通して素行や生のスタイルを評価されたり、測定されることはないし、
そうした評価に基づいて序列化されることもなくなるという。
他にも、ベーシック・インカムに対する疑問として、
「ベーシック・インカムを導入するためにはコストがかかりすぎる」というものがありうるだろう。
この疑問を受けて、実際に計算を行った研究もある。
それによると、所得税の控除による歳入の減少分、社会保障給付費のうちの現金給付部分、社会保障制度の管理にかかる費用などをベーシック・インカムに置き換えると、
費用的・数字的にはベーシック・インカム構想の導入は十分可能であるという。
さらには、別途の企業負担や他の課税によって、
ベーシック・インカムの財源を確保する方法なども議論されている。
実際にベーシック・インカム構想が実現されれば、生活保障の経済的基盤が個々人に提供され、その上に、人々は自由な自己決定により生活を営むことが可能になるという。
もちろんベーシック・インカムをめぐる議論は多種多様であり、
それを主張する人間の立場によってその中身も全く異なる。
格差や貧困が広がるなかで、労働と生存の問題が改めて問い直し、
生きる権利の確立や豊かな生の実現を目指していくことが、この議論を意義あるものにするために必要だろう。
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白崎一裕
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