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pripocoの休日

ジョギング散策:新井用水後半&旧別府鉄道:別府駅⇔土山駅

随分前の話にはなりますが、入院中という貴重で退屈な時間を利用してこのブログを書いてます。

前半で終わってたので、今回、入院中の時間ありありの中で後半をまとめることが出来ました

良ければ「新井用水前半」もどうぞ↓

ジョギング散策:新井用水 - pripocoの休日

前回の(あっ、もう随分前のことですが…)淡山疏水·東播用水からの水路つながりで、この日は別の水路散策です。やっと書き上がりました3月12日(土ᦀ...

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2022年3月20日(日)☀
加古川の浜の宮公園に車を停めて出発です

参加者:私と夫の2人
浜の宮公園は東京ドーム3.5個分の広さに約3000本の松が植えられていますどれも見上げる高さの立派な黒松ばかりです。加古川市の市木です。
上手く伝わらないのが残念ですが、写真の右下に停まってる車がこんな大きさで、どの松も身震いしそうな大きさで圧巻です

何回も見上げては感嘆の声を上げています

江戸時代から「加古の松原」と呼ばれたその一部がここに残っていて歴史ある松林です

また、この近くに「尾上飛行場」ができたことにより、この公園の敷地に「旧陸軍航空通信学校尾上教育隊」があり、全国から集まった1500人の少年通信兵が教育を受け、寝泊まりをする建物があったそうです。
今もその基礎が遺構として残っています。

そういえば、新井用水の前半の終わりに「連隊橋」という名前の橋やその傍には兵隊さんのお墓、ハリマ化成株式会社のところには「くんれん橋」がありました。

当時、関西の最重要地区となっていたこの辺りに防空の飛行隊を設置すると指示があり、ここから多数の若者が知覧へ飛びたっていったそうです。

思わぬところで、戦争遺跡に出会いました。 

この先に浜の宮天神社という菅原道真公を祀ってある神社があります。

ここにも菅原道真公が太宰府へ左遷された際に休息に立ち寄り、松を植えられたという手植えの松があります。
ちょっとそこに行くまでの看板が面白くて…「あかんいうたやろ💢」っておもろいねぇ

も一つ、「これ読めるぅ⤴」って言うとこから入る感じ

浜の宮天神社

コレが、「お手植えの松2代目」のようです。ドーンとあるんだけど、写真が下手なので迫力に欠けますが本物は立派です

樹齢500年とのこと。「鹿児の濱松」

近づいていくと「菅公の霊松」となってます。
さて、寄り道しましたが、この前の「新井用水」の続き地点まで進みます山陽電車を渡ります

「圓長寺」あれっなんか聞いたことあるぞぉ…

…と思ってたら、旧別府鉄道の「円長寺」駅の看板と車両のある公園に出ました線路跡は「松風こみち」の名前の遊歩道になっています。
ここを更に北北東に進み、出ました
「新井用水」の散策と続き地点

ここの池まで来て折り返したので、ようやく本日のスタート地点に到着しました。↓この水路が新井用水です。公園の際の道から

住宅街を流れています

このあたりは水路に水が潤ってます

ポツポツ雨が降ってきましたマンホールの蓋には「用水」と書いてあるのでこの道路の下を流れているようです

急に水路が顔を出したところで

「新井用水」の説明書きに本日初めて出会えました

親柱にも「新井用水路」と。

地中に潜られるとさっぱり分からなくなるので、顔を出したまま行ってほしいところですが…

ずっと住宅街を流れていきます
新井用水の看板発見
「勾配」が取れないところがあり、そこに水を流すのに苦労したとあります。
今里傳兵衛さんの奥さんが「水に勢いをつけることで高いところにも上がる」とアイデアをくれ、それをヒントに勢いをつける箇所を設けたり、曲がり角をつけたりしたそうです。

本日の最初のスタート地点も水路が90度に折れ曲がってたなぁ

そんなうまい写真撮ってないのでこんな感じに曲がってます。(ここ、本日の新井用水スタート地点です)

新井用水とコンクリートの壁に

この水路を辿っていきましょう

現代の生活の中にもこうやって水路が活きてるって感動です

堰があったのですが、「なんか、進路のほうが上がってない」よく分かりませんが溜まってからチョロチョロ水が高い方に流れていっています🤔

家と家の間を所狭しと水路は流れていきます(道がなくなった

道は遠回りして、また水路と一緒になりました

あれっ、ただの溝になったぞ

どこからか暗渠になったらしい一応まっすぐ来たけどマンホールがあるから、コレか
住宅の前の道に出て、駐車場とこの道の間に妙な赤線でなぞったスペースがあるので、絶対コレが、水路くさいよね🧐と言って進む

突如、大きな堰にぶつかる(この堰の先から水路を見失うことに…)
田んぼが出てきたから、水路が大きくなった感じです。

水路に沿った農道を行きます

あれぇ、間違えた水路が溝になってしまいました

大きな道に出て水路を見失いました

そのまま行くと「大中遺跡」に来てしまいました

…ということはこの遊歩道は旧別府鉄道の線路跡ですな
本日のスタートが左の「浜の宮」、そこから「円長寺」を通り、今、「大中遺跡」にいます赤い線が旧別府鉄道路線です🚞
(一番最後に「多木化学㈱」も出てくるのでマークしました)

旧別府鉄道は大中遺跡を貫いてるのです
せっかくなので播磨郷土資料館に入ります(歴史資料館はとても好きなのでちょっと寄り道。なんせ無料だから

今のこの青々と稲穂の実る田が存在しているのは、今里傳兵衛の功績であるとビデオがタイムリーに流れていました
今里傳兵衛物語をモニターの前に座ってしばし、鑑賞

端的にまとめてあり、とても分かりやすかったです

そんなにここで時間をつぶすわけにはいかないので、気になる「ジョセフ·ヒコ」の話もパネルにありましたがそれはまた後にどこかで…

資料館の外には別府鉄道の車両が展示してありました🚞

せっかくなので別府鉄道の起点「JR土山駅」まで行くことに
(新井用水どうしたん⁉️状態ですが現在ロストしてますので、先に別府鉄道コンプリートを目指すことになりました
ここから約1kmで土山駅です。

喜瀬川を渡ります。
新井用水の醍醐味、「逆サイフォン」構造になった「大中埋樋(おおなかうずみび)」がこの喜瀬川の下を潜るので、あながち新井用水と離れてるわけではないのです

とりあえず、旧別府鉄道跡を土山駅まで

あっという間に到着「JR土山駅」

遺跡の街っぽく、物見櫓の時計台と道路との境界は勾玉が並んでます

15:30小腹がすいたのでベンチに座って菓子パン補給
さて水路を辿ってこれてはいませんがこのまま終点の「大池」に行くことに

このまま、道をたどれば見えてくるはず。しばらく走り、山陽新幹線の高架を潜り、

山陽電車を超えて

出てきました「大池」新井用水は帰りに辿ることにしましょう
加古川大堰から取水してここまで約13kmの新井用水の終着点です

大池の一角に今里傳兵衛を讃えた記念碑が建てられていました。

途中、別府鉄道の旅になってインチキしましたが新井用水は田畑を潤し、播磨町のこの池に流れ着きます。

さて、大池に注いでいるであろう新井用水の水路を探すべく、村の中に入ってみます

街の中なので暗渠になってるのでしょうか水路が見当たりません

諦めて、喜瀬川の逆サイフォンを見にもう一度、大中遺跡方面へ新幹線の高架を戻ります

喜瀬川

しばらく歩いて堤防から探しますがよく分かりません
実は反対側の堤防のところだったようで、迷ってから反対側へ

ありました対岸の堤防でした

ここが逆サイフォン構造

今里傳兵衛が大中埋樋を作ったところです
現在はコンクリートそりゃそうやろ)になってるそうですが、
↓先の郷土資料館で見た展示の写真ですが喜瀬川の下を本当に通ってるそうですスゴイ(当時は松材で建築

通っていいのとちょっと躊躇する家と家の間を水路が通ってます。

通ります

道がなくなり、家と家の間を通ってるので、外側の道路を並行して追いかけます。

ウンよかったよかった、あったあった

ここは田んぼの中で急に曲がってます。角度をつけて水を流したのですね

右手には行きがけに水路を見失って走った道路が並走してます

ここで急に水路が出てます。見失って走った道路を水路は暗渠になって渡ったようです。

見渡せば、「あぁ、アレね」と分かる水路が通ってました

水路にくっついて帰ります

戻ってきました行きがけに大きな堰が出てきたという場所にとりあえずコレで新井用水コンプリートということにします

さあ、帰り道は、JR土山駅から出ていた旧別府鉄道跡を通って帰りましょう

おそらくこの道と思われる

山陽電車の方が後からできたので別府鉄道の上を高架で通ります🚞

現在の山電別府駅に到着
コレで旧別府鉄道跡もコンプリートですここを起点に「松風こみち」が整備されています。

「別府鉄道」ってそもそも何かというと、ここに「多木化学㈱」という肥料会社があり、その製品を積み出すための鉄道スゴイ⤴️⤴️

現在は鉄道事業は撤退し、タクシー事業部門に変わっているそう🚕

更に西に進んでいくと別府港に多木化学㈱の「多木浜洋館」がドドーンと建っています屋根だけでなく、洋館全体が銅板で覆われており、「あかがね御殿」とも呼ばれています

この洋館は4階建てで、多木化学㈱の創始者であり、「肥料王」と呼ばれた多木久米次郎さんが来賓を迎えるために建築したとのこと
このすぐ近くには「別府住吉神社」

「手枕の松」という名の立派な松がここにもありました。「播州松巡り」という言葉通り、この辺りの松を巡ることは昔の人達の大きな娯楽だったそうです

ここ住吉神社が「播州松巡り」の東端だそうで、確かにここから西へ進むと

車を停めてる浜の宮天神社の「鹿児の濱松」、謡曲高砂に謡われた尾上神社の「尾上の松」や高砂神社の「相生の松」、そして曽根天満宮の「曽根の松」と…

どの松も手厚く保護されて、代を継いでいます素晴らしい

さぁ、18時が回りました帰路を急ぎましょう

無事に浜の宮公園に到着し、戻ってこれました。

新井用水の後半と旧別府鉄道の別府駅⇔土山駅を同時にコンプリート出来ました

途中、新井用水をロストしましたがそのお陰で行けてなかった旧別府鉄道跡の部分にも行けたし、満足満足な散策でした




長々、最後までお付き合いありがとうございます





ps:7月17日(日)予定通り、退院できそうです咳や思わぬくしゃみで創痛がうぉっとありますが、それ以外はほぼ普通です

今週1週間休みをもらってるのでその間に体調を戻したいと思います。

なんせ、病室から出てないので足の力がきっと落ちてます

ウォーキングから始めて、またジョギング散策に出掛けたいと思います

外の暑さもすっかり忘れてます






























































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コメント一覧

pripoco
こんばんは🤗コメントありがとうございます🙋無事、手術も終わり自宅に戻りました。昔の人の知恵に感動しながら水路を辿りました❗播磨町にはジョセフ·ヒコさんという先覚者もおられ、大中遺跡や考古博物館もありとっても興味深くいいところですよね🤩
nazuna-nonohana
手術、無事に終わられたのですね!
良かった~~~

そして我が町、播磨町にいらしたのですね!
今里伝兵衛さんの新井陽水は播磨町では一番の歴史遺産ですが
ここまで詳しく追って走られたなんて感激です!

記事にしてくださってありがとうございました*^^*

術後もどうぞお大事になさってくださいね。
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