日岡駅を出発し、次の目的地日岡神社へ
1300年の歴史のある大きな神社で、安産の神様として有名です。
「無事双子の皇子を御安産なされました」
「宮内庁」の管轄のようです
宮内庁と書かれた看板を見るのは初めてかもしれないのでなんだか緊張
立派な御陵で、中には入れませんが、神社の方が手入れをされるのでしょうか、整えられた玉砂利の砂紋が見事です
皇后が亡くなられた時、日岡山へ葬るため遺体を乗せて印南川(加古川)を渡っていた時、大きなつむじ風が吹いて船は転覆しました。
後に「ひれ」と「くしげ」だけが見つかり、これを葬ったので「ひれ墓」とも呼ばれています。
ちょっとワンポイント
宮内庁による陵墓指定・管理の古墳
あまり知られてはいませんが、日岡御陵の正式名は「景行天皇皇后日岡陵」という宮内庁指定の陵墓です。
これは「播磨国風土記」に記述がある印南別嬢(いなみのわきいらつめ)が、「日本書紀」に記された第12代景行天皇の后「稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)」にあたり、その墓が賀古郡の日岡にあるという記述があるためです。
この前、ジョギング散策した「玉丘史跡公園」の玉丘古墳は古墳の丘陵まで入らせてもらい、感激しましたが、
ここは同じ前方後円墳といえどもレベルが違うようです
色々見てたら、もう17時前で夕日が没みます早く帰らねば…
と、上から見えたのは下の公園でなんだか、お祭り催し物をやってるみたい
コロナ禍でなかなか出来なかったイベントがぼちぼち始まり始めましたね
下の公園は、マルシェが開かれ、沢山の人で賑わってました
みんな、楽しそうです
日岡神社から入ってきてしまったので、入り口を通らず来ましたが、「ムサシオープンデパート」と題してこの日と次の日の2日間夜市が開かれてたそうです
このあと、暗闇の中、来た道を戻り、せっかく加古川に来たのだからと
加古川名物かつめしを食べて帰りました。
お疲れ様でした