家族から見て、認知症では?と思い始めるよりも更に前のこと…
異常なまでの無気力状態でした。
一日のうち、食べる時と、排泄の時以外は、常に寝て(眠って)いました。
父は、手先が器用で、何でも自分でやってしまう人で、クルマいじりなどは、三度の飯よりも
好きだったのです。
私も、そんな父を超えることを目標に、クルマ関係の仕事に就きました。
ところが、私がクルマをいじっている時、以前なら、口だけではなく、手まで出してきたのに、
そのころから、昼寝をしているロッキングチェアと、壁一枚隔てたところで、クルマやバイクを
いじっていても、見向きもしなくなりました。
リタイア後、唯一の趣味として、蕎麦打ちを始め、道具も一式揃え、何かにつけて蕎麦を振舞って
いたのですが、やはり、一切やらなくなり、新蕎麦の粉が手に入ったからと、親戚から蕎麦粉を貰っても
打とうとしませんでした。
折角なので、見よう見まねで、私が打っていても、やはり見向きもせず、それどころか、あれだけ好きだった
蕎麦をはじめとする麺類自体が嫌いになってしまったようです。
当時、腑抜けになってしまった父を、ただ軽蔑し、なんとなく親子関係もギクシャクしはじめていました。
結局、他にもいろいろ重なり、あまり会話をすることなく終わってしまいました・・・
もともと親子して無口なほうだったので、子供のころからそんなに会話をした記憶はなかったのですが、
今更悔やまれることの一つではあります。
当時は、思いもしなかったことですが、今にして思えばこれって、“鬱”の状態だったのでしょうか?
母も、避難生活中にいろいろな奇妙な症状を訴えていたので、その症状を全て箇条書きにして避難先の
近所にあった有名な心療内科に連れて行ったところ、軽い鬱病と診断されました。
今までにいろいろと経験してきて、自分の中の精神科に対するマイナスイメージも払拭され、ある程度
知識も得られたので、迷わず受信させることができ、お蔭で、薬も半年ほどの継続で改善されました。
このように、早い時期に適切な病院で、適切な処置ができていたなら、被災した後も、違っていた
のかもしれません。
後悔は先に立ちませんが、悔やまれます・・・
異常なまでの無気力状態でした。
一日のうち、食べる時と、排泄の時以外は、常に寝て(眠って)いました。
父は、手先が器用で、何でも自分でやってしまう人で、クルマいじりなどは、三度の飯よりも
好きだったのです。
私も、そんな父を超えることを目標に、クルマ関係の仕事に就きました。
ところが、私がクルマをいじっている時、以前なら、口だけではなく、手まで出してきたのに、
そのころから、昼寝をしているロッキングチェアと、壁一枚隔てたところで、クルマやバイクを
いじっていても、見向きもしなくなりました。
リタイア後、唯一の趣味として、蕎麦打ちを始め、道具も一式揃え、何かにつけて蕎麦を振舞って
いたのですが、やはり、一切やらなくなり、新蕎麦の粉が手に入ったからと、親戚から蕎麦粉を貰っても
打とうとしませんでした。
折角なので、見よう見まねで、私が打っていても、やはり見向きもせず、それどころか、あれだけ好きだった
蕎麦をはじめとする麺類自体が嫌いになってしまったようです。
当時、腑抜けになってしまった父を、ただ軽蔑し、なんとなく親子関係もギクシャクしはじめていました。
結局、他にもいろいろ重なり、あまり会話をすることなく終わってしまいました・・・
もともと親子して無口なほうだったので、子供のころからそんなに会話をした記憶はなかったのですが、
今更悔やまれることの一つではあります。
当時は、思いもしなかったことですが、今にして思えばこれって、“鬱”の状態だったのでしょうか?
母も、避難生活中にいろいろな奇妙な症状を訴えていたので、その症状を全て箇条書きにして避難先の
近所にあった有名な心療内科に連れて行ったところ、軽い鬱病と診断されました。
今までにいろいろと経験してきて、自分の中の精神科に対するマイナスイメージも払拭され、ある程度
知識も得られたので、迷わず受信させることができ、お蔭で、薬も半年ほどの継続で改善されました。
このように、早い時期に適切な病院で、適切な処置ができていたなら、被災した後も、違っていた
のかもしれません。
後悔は先に立ちませんが、悔やまれます・・・
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