平凡な日常がある幸せ・・・

介護によるストレスのはけ口として始めたブログですが、介護が完結し、また、被災後に取り戻せた平凡な日常を綴ることに・・・

これも、今にして思えば・・・

2013-03-19 | 独り言
家族から見て、認知症では?と思い始めるよりも更に前のこと…

異常なまでの無気力状態でした。

一日のうち、食べる時と、排泄の時以外は、常に寝て(眠って)いました。


父は、手先が器用で、何でも自分でやってしまう人で、クルマいじりなどは、三度の飯よりも

好きだったのです。

私も、そんな父を超えることを目標に、クルマ関係の仕事に就きました。

ところが、私がクルマをいじっている時、以前なら、口だけではなく、手まで出してきたのに、

そのころから、昼寝をしているロッキングチェアと、壁一枚隔てたところで、クルマやバイクを

いじっていても、見向きもしなくなりました。


リタイア後、唯一の趣味として、蕎麦打ちを始め、道具も一式揃え、何かにつけて蕎麦を振舞って

いたのですが、やはり、一切やらなくなり、新蕎麦の粉が手に入ったからと、親戚から蕎麦粉を貰っても

打とうとしませんでした。


折角なので、見よう見まねで、私が打っていても、やはり見向きもせず、それどころか、あれだけ好きだった

蕎麦をはじめとする麺類自体が嫌いになってしまったようです。



当時、腑抜けになってしまった父を、ただ軽蔑し、なんとなく親子関係もギクシャクしはじめていました。

結局、他にもいろいろ重なり、あまり会話をすることなく終わってしまいました・・・

もともと親子して無口なほうだったので、子供のころからそんなに会話をした記憶はなかったのですが、

今更悔やまれることの一つではあります。



当時は、思いもしなかったことですが、今にして思えばこれって、“鬱”の状態だったのでしょうか?

母も、避難生活中にいろいろな奇妙な症状を訴えていたので、その症状を全て箇条書きにして避難先の

近所にあった有名な心療内科に連れて行ったところ、軽い鬱病と診断されました。


今までにいろいろと経験してきて、自分の中の精神科に対するマイナスイメージも払拭され、ある程度

知識も得られたので、迷わず受信させることができ、お蔭で、薬も半年ほどの継続で改善されました。


このように、早い時期に適切な病院で、適切な処置ができていたなら、被災した後も、違っていた

のかもしれません。

後悔は先に立ちませんが、悔やまれます・・・

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