ハガキサイズの切り絵に顔彩で描いたバラです。
以前、母が普通に歩けた頃に「神代植物公園」にバラを見に行った事を思い出し作りました。母は今から14年前の平成21年に97歳で亡くなりました。病院に入院していましたが主治医から自宅でという事で戻ってきましたがあともう少しという願いも届かず退院後5日目で亡くなりました。
母は92歳の頃転んで足に大けがをし急いで病院に連れて行きましたが、その後何か月もしないうちに歩けなくなり車いすの生活になりました。
母はプライドが高くさすがに車いすを人には見られたくなかったんでしょう。
元気に歩ける頃は良くいろんな所へ二人で出かけました、一番よく出かけたのは巣鴨にある「とげぬき地蔵」と浅草「浅草寺」ですどちらも年に2回は行ってました。お参りを済ませた後に母は「天丼」が好物で必ず天丼を扱っているお店に行きました。母とよく一緒に出掛けた中に親戚もありまして、私が小さいころから月に一度は行きました、特によく行った中に母の実家があり、母の手作りの草餅・柏餅・饅頭・おはぎなどを持って行きました、そうすると叔父さんは「お昼に何か食べていけ」と言ってラーメンか盛りそばを近くの蕎麦屋さんに頼んでくれました。私の小さいころ幼稚園か小学校の頃はそれが普通で今みたいにほとんどの食べ物を出前してくれるところはなく蕎麦屋さんぐらいしかありませんでラーメンとか盛りそばが定番でした。
当時のラーメンはとてもシンプルで今の家系の脂こってりのラーメンとは違い薄めのスープにチャシュー・のり(のりの上に胡椒が振りかけてある)・シナチク・ネギがのっている場所によってはナルト巻きや茹でたほうれん草がのっている所もありましたがいわゆる「支那そば」です。あの頃はとてもご馳走でした今思うと懐かしい思い出です。
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