"FOR THE CUSTOMER"

創業120年の建設会社「今西組」の六代後継者が あなたの”いいね”を築く!

「竣工祝い、補助金貧乏、立替」

2009年08月26日 08時54分39秒 | Weblog
竣工祝い

当社がお客様と出会うきっかけとは、以前の建築主さんや、関わった建築士より紹介いただくケースが多い。
当社に一元さんでお目見えになる顧客は本当わずかである。
大変ありがたい「わずか」に、「どうして当社をお知りになったのですか」と聞く。
最近こそ「ホームページを見て」とおっしゃるケースが目立つようになったが、
お答えのほとんどは「今西組が建物を建てているのを実際に見て」である。
当社はメディアでCMを活用してはいない。
また50万社存在する建設業者、大手5社の市場シェアがわずか10%の業界構造。
(自動車は大手(トヨタ、日産、ホンダ、スズキ)だけでシェア70%を超える)
ほとんどの企業が、名前すら認知されていない。
ゼネコンのCMを見て、果たして「ここに頼もう」と即決するだろうか。
それらの意味で、地域商店街のパン屋さんと似て、口コミで成り立つ商売に近いといえる。

【あなたが私にくれたもの♪】という歌詞のポップスを思い出す。
竣工祝いは、建築主によって、また時代によって変えるべきである。

以前、東京支店では、祝いとして「植樹」(木の種類は忘れてしまった)を贈っていた。
私も実際に見たことがあるが、かなりの大きな木である。
昔は敷地に計画の余裕があったため、外構の空きスペースを活用して植えたという。
ところが最近では、敷地いっぱいに建物を計画することが多くなり、この慣習は自然となくなった。
ここ数年では「掛け時計」、裏に「贈 今西組」と彫る。
よく銭湯の鏡に「○○工務店」と書いてある、あのイメージ―――。
慣習化され、社内の誰も、おかしいとは思わなくなってきている「定番」こそが、時代とともに受け入れられなくなる可能性は、ゼロではないように思う。
もう古い?
縁起がいい?
センス?
今回、ある人に渡そうと思い、流行の製品を自ら購入してみた。
解体前の建屋、その取り壊し、整地、新築着工、上棟、そして完成のストーリー。
建築主にとって、思い入れの詰まるこの期間を「生涯の記録」として届けることができるもの。
喜ばれるといい。
どう思われるかは、決してわかるものではない。
けれど、渡した直後に相手に伝わるものはある。

伝われば嬉しい。
心に記憶されることは、絶対に忘れない。


補助金貧乏

お付き合いいただいている顧客に、「社会福祉法人」と付くケースが多くなってきた。
政府の補助金を積極活用され、福祉施設の建設を決意されるみなさま。
我々にとっては、大変ありがたいことである。
だがひとつ悩ましいトレンドがある。
「補助金貧乏」に陥る月が顕れるようになったことだ。

大抵の場合、建物が完成してから、建築主は補助金の実行を役所に届ける。
建物に対して、補助金が出されるのだから、これは当然といえる。
だが我々にとってつらいのは、その交付が完成の数ヶ月あとにしか実行されないことである。
さらに最近、それが顕著に遅れてくることが多い。
政府の対応に時間がかかっているのが一因といえる。


立替

建築工事のあいだ、当社を含むゼネコンは、進捗分の工事代金を「立替」する。
支払条件にもよるが、億単位の立替は、自己資金だけでなかなかできるものではない。
なぜ立替をするのか。
専門工事業者と呼ばれる協力業者に、先に支払が発生するからだ。
ゼネコンの現場所長は、職人を抱える協力業者に発注し、工期中、彼らの施す防水工事等の各種施工を「管理」してまとめるのが役割の大きな一つである。
協力業者には、零細を含む小さな会社も多々存在する。
建築主の支払い条件に合わせて支払いを滞らすことができるほど、零細企業の資金繰りには余裕がない。
ましてや昨今の不況。
当社も余裕の余裕とはまったく言いきれないご時勢である。

四月の開園や、開所に向けて、年度末で終わるこれらの工事が増えれば増えるほど、四月、五月といった時期に「未収入金の不足感」を覚える。
法人の建築主はまったく問題ではない。

政府は、先の緊急施策として、ただ補助金枠を造るだけで一息つくのではなく、迅速な補助金の実行、つまりトレーサビリティー(追跡調査)の結末までを管理いただきたいと思う。
そう、思うのは私だけだろうか。
もうすぐ、選挙だが、最近引っ越した私には、選挙権がない。

給与体系、思いっきり、放浪者

2009年08月04日 16時52分30秒 | Weblog
建築と、床屋はある種似ているのだと、ある協会の会合で、同業社長はおっしゃった。

「給与体系」
絶対に自社が一番優れていると誇れる給与体系をもつ会社はそういないうように思う。
特に手当ての面で、各社は社員に対して、様々な工夫をして覇気の維持と能力啓発に努める。
当社も例外ではない。

旧態のいい部分は残しつつ、圧倒的にメリハリの効いたしくみを築きたい。
昨日お会いした協会の会長は「評価される者より、評価するものの方に問題がある」とおっしゃった。
一概に、規模に関わらず、ゼネコン社員を定量的に評価するのは難しい。
では定性的に?評価者の裁量に因る部分が大きければ、それはそれで問題である。
当社も例外ではない。

慰労会のビンゴで、一等賞として100万円を振舞う社長もいる。
「親孝行」と称して、創業記念日に、社員全員に、金一封ずつ手渡す社長もいる。
決して他社の真似すればいいというものではない。
そこに会社の独自性を見出したい。

利益がでれば、株主や社員に還元するのは当然である。
ただ利益がでなければ、報いることができない。
当社も例外ではない。


「思いっきり」

「今後も昨日の所長会議のよう、ああいう内容の発言でいいのかな?」
「そんなに気にしなくていいですよ」
「いままでどういう風にしてるのか、知らないからね」
「思いっきりやればいいんですよ。」
それからこうも言ってくれた。
「今、みんな我慢してやってんです!どしどし変えてってください!」

「放浪者」

当社の大事な顧客企業の会長が先週、お亡くなりになった。
創業者として、仕事に誠心誠意をこめられ続けた気持ちが、社葬で配布された冊子「創業者のつづり」の文脈から読み取れた。
なかに、胸を打たれた言葉があった。
会長が、まだ若かりし当時、先輩から言われて、自身による創業を決めたひとこと。

「大企業でサラリーマンするくらいだったら、放浪者でもいいから親分になれ。」

親分としての志と責任感。
自身の行動が、すべてわが身にふりかかる。
「おちこぼれたら、這い上がればいい」
ネパール仲間の先輩・野口健さんも、著書でそう述べておられた。


明日は、まもなく完成する新築物件の建築主の、表示・保存登記に必要な書類を司法書士の元に届ける。
お手伝いに域はない。
お手伝いにこそ、粋があるのだ。

雨男と晴男、地鎮祭の挨拶、「感動をつくる」

2009年07月29日 17時17分38秒 | Weblog
「雨男と晴男」

茂原駅からタクシーに乗った瞬間、雨が降り始めた。
「まただ」と思った。

私のような雨男は、周囲から嫌がられる。
特に地鎮祭等の催しの時に、私のことを知っている人からは敬遠される。
ゴルフでもそう。
最近、誰からも誘われなくなったのは、雨男のせいである。
もしそうでなかったら、これは致命傷である。
私という人間の信用不安の問題へとつながる。

ところが。
茂原市長という方は素晴らしい。
会場にお出でになった途端、雲から青空がのぞかせる。
おかげで「イヤー実は雨男なんですよね」という自己紹介も訳なくできる。
「晴男」市長、ありがとうございます。
おかげさまで、滞りなく自己紹介させていただきました。


「地鎮祭の挨拶」

地鎮祭の挨拶は、ニチイ学館の代表取締役会長、寺田氏から始まる。
挨拶を聞きながら、我々として、改めて再認識したのがグランドオープンの日程である。
四月一日。
茂原市長は、さらに輪をかけるように「四月一日は「茂原市民の日」なんです」とおっしゃった。
工期は、そう余裕のあるものではない。
ただし、やると決めたからには、会社の組織体制を変更してでもやる使命がある。
「現場所長を生かすような会社のフォローを頼むよ」とニチイ学館の担当部長は私にアドバイスいただいた。

今回工事内容には土木、造園工事が幅を効かす。
さらに設計・施工の契約という、支店としては稀なケースである。
大阪本社から出向する、土木担当は私にこういった。
「久々に、地図に残る仕事ができます」
大成建設?
ともかく、今西組として、堂々と看板の出せる工事である。
ニチイ学館様との縁をきっかけとして、今回の工事特有のノウハウを身につけ、営業の拡充へとつなげていきたい。


「感動をつくる」

地鎮祭の挨拶、ニチイ学館の代表取締役会長、寺田氏が続ける。
「介護を通じて、感動をつくるんです。」
聞いている私の胸が震えた。
とても含蓄のある、スマートな挨拶だった。
こういう風格を私も出せるようになるようがんばりたい、と素直に思った。
従来、私は
【お客様に感動していただくように竣工させ、喜びを共有したい】がテーマだった。
建築主と一緒になって、建物ができたときの感動を共有することに至上の喜びを感じていた。
ただ今回の建築主は、高齢者や住民との「ふれあい」をねらいとした事業として建設される。
つまり、ただ建築主に感動いただくだけではなく、施設の利用者が感動するような建設が望まれている。
当社が目指す、提案型総合建設業としてのいいモデルケースになれば素晴らしい。
「こうしませんか、こうしましょう」と現場をリードする力量が問われる。
そしてノウハウをたくわえ、次なるステップにつなげたいと真摯に思う。
最後に当社現場所長の中締め。
「悲しいかな、今西組だけではいいものはできません。
市や建築主の助けが必要です。
ご協力をお願いします。」
現場所長として、本当に素直な発言だった。
会社がフォローしたくなる、頼りになる所長を誇りに思う。


素直か演技か、一ヶ月、「不況と自覚」

2009年07月29日 17時00分42秒 | Weblog
純粋か演技か

果たして、誰とでも素直に接するのはいけないことなのだろうか。

メインバンクでのミーティング。
目的を達成するための「お願い」。
「お願い」を聞いてもらえるために、あらゆる弁法を駆使する。
時に我慢強く沈黙の間に耐えることもある。
交渉の甘さによっては、即座に、会社に流れる血を止めることとなる。
役割を担い務める担当。
会社のために!
会社を代表して!
ときに演技も必要とするであろう。
他の社員には感じられない、自分にだけのプレッシャー。
受けとめる本人以外に、気持ちなど解る由もない。


一ヶ月

管理部に在籍を移して一ヶ月が経った。
一ヶ月もたてば、そのなかで思うところはでてくるものだ。

部署で役割がそれぞれ異なるのは当然である。
管理部の社員。
工事現場の社員と比較すれば、かく汗の量が違うのは間違っていないと思う。
だからといって、評価をきびしくするのは言語道断である。
職務が適当である限り。

工期のない現場の管理は大変である。
短期間での見積作成は大変である。
協力業者の値切り交渉は大変である。
けれど現実を直視、仕事を獲ってくる営業も大変である!
さらに、会社を巡る出入金管理は最も心臓に近い部分で大変である。
なりたての創業者が、資金繰りで夜もねられないことがある。

「土建屋」として生きる時代はとっくに終わった。
「仕事が降ってきた」官庁受注全盛の時代は過去の思い出として棚にしまっておくべきである。
確かに当時、現場側からすれば「営業はなにをしているんだろう」という愚痴があったことだろう。
だからといって、現在、だれもが理解する建設不況、受注競争過多のなかで、仕事を獲るために動く営業マンに同じことは言えまい。
「見積提出が延びそうです、この量を短期間で依頼する建築主がおかしい、我々は決してわるくありません」
「工期に間に合わないのは、設計事務所のせいで、我々は決してわるくありません」
堂々と発言することとは、会社を代表した発言とは思えない。
もし発言するなら、コソッと言って欲しい。
あるいは酒の肴として活用して欲しい。

不況で生き残るには、「お人好し」ではいけない。
当社は昔から、体外的に「お人好し」の傾向がある。
許す。
また許す。
昔は許せたかもしれない。
今は許せる状況ではないということを、改めて意識いたしたい。


「不況と自覚」

各自みなさんが会社の代表だと「自覚」すること。
各部署間で、協力関係を強烈なものにすること。
仕事が減っているのは、決して営業のせいだけではない。
不況が当社を巻き込んでいるのは事実である。
顧客よりの入金が滞る事実の一つ一つが、私をそう思わせる。
よって組織バランスとして、営業にシフトする構成が私とすれば望ましい。
営業に協力しよう。
顧客をつないでいこう。
そのためにーー
まずは自身の役割に集中することがシンプルで正しい道だと思う。
だから決して「言い訳」や「大変だから」といった無用で廻りの覇気を削る堂々とした発言はよくないと思われる。

果たして、誰とでも素直に接するのはいけないことなのだろうか。
それが目的のためと思えるのなら、私は決して悪いとは思わない。
信用を築くという目的のためにーー。


東京出張、あさいちばんのしんかんせん、「銀座テファニー」

2009年07月15日 11時13分32秒 | Weblog
東京出張

本日は、関西に拠点を移してからは初となる「東京出張」である。
懐かしい、というような哀愁的感情はまだ湧かない。
どこでも、いつでも、だれとでも、態度の変わらぬ自身で人と接していきたい。
ふと「出張」と書いて、疑問が生じた。
「出張」ってなぜこう書くのだろう?
言葉ではよく「しゅっちょう」と交わすが、実際に文字にしてみると、妙な違和感が残ってしまった。
語源がわからない。
英語だと、一体なんていうのだろうか。


あさいちばんのしんかんせん

新幹線の始発とは、東京発も新大阪発も、午前6時ちょうどである。
東京にいるころもよく利用した。
今回は大阪から「朝一番の新幹線」に乗る。
そういえば私が幼少の頃、好きだった絵本のタイトルは「あさいちばんのしんかんせん」だった。
親に読んでもらい、また自分で声に出したりと、何百回も読んだ記憶がある。
絵本には、新幹線の駅名が登場してくる。
東京、新横浜、小田原、熱海、三島、静岡、浜松、豊橋・・・
三歳の頃、東京から博多まで駅名を全部暗記したら、まわりに驚かれたのを思い出した。
そんな「あさいちばんのしんかんせん」に、やがて本当に乗るとは思わなかっただろう。


「銀座テファニー」

今日も「N700系」一号車、一番前の窓側に座る。
パソコンを車内で使う私にとって、自由席は気楽で魅力的だ。
特にN700系は、全列に電源が完備されており、とても便利である。
名古屋を過ぎると、やがて窓越しに田園風景が見え始める。
田んぼのどまんなかに、広告看板を良く見かけるようになる。
さっきも「銀座テファニー」と書かれた看板を見かけた。
「銀座テファニー」?
直後に二つの疑問が生じる。
① 田んぼの所有者に、広告費としていくら払っているのだろうか
② そもそも「銀座テファニー」は果たして銀座のお店なのか
字体から察するに、数十年前からそこに立っていると推測するが、生じた疑問をそれ以上解消しようとは思わないので、忘れることにした。

ふと周りを見渡すと、スーツ姿のサラリーマンがたくさん乗っている。
熟睡されている方もいれば、スポーツ新聞を読んだり、また一生懸命パソコンと向き合う方もいる。

みんな、「しゅっちょう」である。