その後、『風・雨・雙流星』『劍・花・煙雨江南』『蛇鶴八歩』『飛渡捲雲山』『一招半式闖江湖』『拳精』と続くんですけど、中には一旦お蔵入りするものもあるほどに、成績は振るいませんでした。
作る作品作る作品がヒットせず、公開できなかったりなどピンチが続きます。
しかし、ここで運命が逆転します
当時新進気鋭のプロデューサー、ゴ・シエン(呉思遠)のシーゾナル・フィルム(思遠影業公司)に2本契約でレンタルされます。
2本契約の1本目
『蛇形刁手』(スネーキーモンキー蛇拳)が公開されてジャッキー初のヒット作となります。開花
1978.3.1 本国公開 1978年香港映画興行収入8位。日本劇場公開1979年12月1日。
そして、それから約半年後のレンタル2本目の作品でブレイクします
『醉拳』(ドランクモンキー 酔拳)です。
1978.10.5 本国公開 1978年香港興行収入は第2位。日本劇場公開1979年7月21日。
『酔拳を映画館に観に行って、観客が喜んでいる姿を見た時、僕は先ず泣いた』
自伝に書いてありました。
酔拳の大ヒットによってジャッキーチェンは、文字通りスーパースターへと昇り詰めました。
ジャッキーチェンと言えば、コミカルな作品が多いようなイメージがありますが、昔の作品は実はそうでもないんですよ。
『少林寺木人拳』のダンマリの演技は良かったです。
個人的には、コミカルな役以外の作品の方が好きです。
酔拳がヒットしてからは、みな同じようなコミカルな役ばかりになったのは残念でした。
だから酔拳のヒットによって、無名時代のちゃんと演技している作品が日本公開されたのは嬉しかったです。
印象に残っているのは、『劍・花・煙雨江南』『蛇鶴八歩』『龍拳』
『劍・花・煙雨江南』は『成龍拳』で日本公開されたんですが、『劍・花・煙雨江南』の方がカッコよくないですか?
江南地方に血の雨が降る...みたいな。
『イケメンが主役の話なんだからあいつじゃダメだ!』と猛反対していた古龍をローウェイが説得して映画化したそうな。
冒頭のシーンが、オカルトぽくてメチャ良いです♪
あと、主題歌もメチャ良いです。日本公開版の主題歌はどれも秀逸です
内容的には、ちょっと壮絶な内容で暗い作品です。
『蛇鶴八歩』(蛇鶴八拳)は、僕の兄が一番好きな作品だそうです。
ちょっと謎めいたストーリーと雰囲気で、お宝さがし的なストーリーに個性的なキャラが沢山登場します。
広東語じゃなくて、北京語だったのも作風とマッチしていました。
アクションシーンは個性的でかなりカッコよいです
そして僕が一番好きなジャッキーチェンの作品は、『龍拳』です
『龍拳』は唯一原題と日本公開名が同じ作品で、実質的には、ローウェイ最後のジャッキー映画になるんじゃないですかね。(全編ちゃんと撮影した作品として)
小清水ミツルさんが歌う日本版の主題歌が、めちゃカッコ良いのと、小清水さんの声が作風にピッタリなんです。
酔拳と並行して撮影されていたらしいのですが、公開は酔拳の後でした。
ストーリーも良いんですよ。
Wikipediaでは、このように紹介されています。
武侠映画の要素も加えたシリアスな展開の主演作である。
師匠のかたき討ちに燃えて、ようやくたどり着いた仇敵が、深い改心をもって善人になっていたことから始まる、新たな悲劇を描いた異色の物語。
単純な勧善懲悪のストーリーではなく、かたき討ちを断念した主人公の葛藤に焦点が当てられている。
Amazonでのレビュー
カンフー映画と言えば、殺された師匠の仇を討つというのがパターンですが、本作ではその仇が片足を切り落として懺悔していて復讐を果たせない。
そこを悪党に付け込まれ、手下に成り下がって利用されてしまう。
敵も味方も次々命を落とすシェイクスピア並の悲劇。心に残る。
全編通して主人公の悩み、心の葛藤がテーマのような作品です。
決して明るい終わり方ではないけれど、僕は一番好きな昔のジャッキーチェンの映画は?と聞かれたら迷わず『龍拳』と答えます。
コミカルなジャッキーチェンが好きな方には、オススメしませんが。
ブルースリーは、足技が多かったんですけど、ジャッキーチェンて、この頃あんまり足技使ってないんですよ。
それが、龍拳では足技を多く使っているんですね。
龍拳の特徴は3つあって、足技とヒジを多用するところと、拳の握り方で人差し指を出して握っているんです。
ローウェイはブルースリーを主役として撮影したかった作品だったんです。
たしかに、それを聞いて納得してしまいました。だから足技が多かったのかも知れません。
ブルースリーの龍拳も観たかったですね。
そして、家族会議で『チャレンジしてダメだった時の為にも、せめて高校くらいは卒業しておいた方がよい』という皆の意見を聞き入れて、高校進学を決意します。
受験する高校を選んでいる時に、目黒高校の名前を出した時に兄が『目黒高校は空手が強いので有名だよ』と言いました。
兄は下高井戸にあった剛柔流の空手道場に通っていたので、知っていたんでしょう。
どうせアクションスターを目指すのであれば、日本一と言われる空手部に入部するのもアリだな。
そう思った僕は、目黒高校を受験しました。
これも縁だな~、とか思うのですが面接官が空手部の顧問だったんです。
高校に入ったら部活は決めているのか?と聞かれた僕は、『空手道部に入部するつもりです』と答えました。
『冗談だろう?』と顧問は笑って言いましたが、その日の夜に電話があり『合格したので是非空手道部に』と言われたのでした。
そして、僕の後悔の3年間が始まることとなります。
その11につづきます
※『目黒高校空手道部』入学式前の沖縄合宿に行った時の集合写真
沖縄合宿から帰って数日後の入学式に、既に一人の脱落者が出ます
最後までお読みいただきありがとうございました。
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