歴史の足跡

フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」の会」もよろしく。

『古事記に見る神々の分布と世界観』川村一彦

2014-04-10 05:31:08 | 例会・催事のお知らせ
「古事記」に見る神々の分布と世界観         川村一彦

「古事記」と「日本書紀」は、ほぼ同時代に編纂され日本の古代を解く鍵として古くよりその真偽を論じられてきた。
 何故同じような国史を記紀に分別し編纂しなければならなかったが、大きな謎の一つではあるが一般的には「日本書紀」は国外向けの国家の成り立ちを、「古事記」は国内向けの天皇家の私史として考えられている。
 まだその意図は解明されていないが、その評価については当初は「日本書記」が主書として「古事記」は「日本書記」の参考書程度の評価が江戸時代より「古事記」が見直され「記紀」では「古事記」が優先されて古代の謎解きの主書となっている。
 何より「古事記」の面白さ興味深さは「日本書記」に登場しない神話の世界の展開に有る。しかも出雲神話が多くの物語を登場させ、各氏族の祖神に繋がってゆく所に有る。
 まず「古事記」に見る天地開闢は五柱アメノミナカヌシノカミ、タカミムスヒノカミ、カムムスヒノカミ、ウマシアシカヒヒコチノカミ、アメノトコタチノカミの別天津神でこの神々には出雲神話に登場する神もあれば、神話の世界で大きな力や影響を与える上で特別に重要な神々ではない独り神である。
 次に登場する神世七代はクニノトコタチカミ、トヨクモノカミの独り神とウヒデニノカミ、スヒデニノカミ泥土の神格化の夫婦神と、ツノクヒノ、イククヒノカミ成長を神格化の夫婦神と、オホトノジノカミ、オホトヘニカミ性器を神格化の夫婦神と、オモダルノカミ、アヤカシコネノカミ美と愛の誘惑の神格化の夫婦神最後に「イザナギ、イザナミ」の国生み神生みの夫婦神があってこじきの世界が展開される。
 イザナギとイザナミに高天原の神々より漂う地上の世界に国を固めること命じられ天空に浮かぶ「天の浮橋」に立って「天の沼矛」で海をかき混ぜ、矛の先の雫の塩で自分たちが舞い降りる国土を造る。
 最初に造ったオノコロ島に降り立ち「天の御柱」と神殿「八尋殿」を建て交合し島々を造った。イザナギとイザナミは「大八島」淡路之島、伊予之島、隠岐之島、筑紫之島、壱伎之島、津島、佐渡島、秋津島と6つの島々を生んだ。
 
この天地創造である国生みの物語は、仏教の須弥山世界観に似ている。
「具舎論」に拠れば、須弥山を取り巻いて7つの金の山の鉄囲山があり、その間に八つの海がある。これを九山八海という。
風輪の上に水輪、その上に金輪があって、その最上層部をなす金輪の上面に大地と底に接する際となっており、これを金輪際と言う。
 我々が住むのは海水をたたえた金輪際に浮かぶ「贍部洲」であり須弥山の中腹に日天、月天が回って、中腹の四大天が浮かぶ四州を守っている。
 イザナギとイザナミの国生みは海に浮かぶ島々を造る所は、神話の創造と似ている。
 国生みを終えたイザナギとイザナミは神々を生みだす。
「古事記」には35柱を生み出したと記されているが、実際は17柱の神を生んだ。海、川、など水に関わる神と風、木、山、野などと船と食物、火など生産に関わる神々が出現した。神の子が神を生み増えていったが、イザナギとイザナミの生んだ神、火の神カグツチを生みイザナミは陰部に大やけど覆い苦しみ病床に苦しみながらも、嘔吐や糞尿から鉱山や土、6神を生み亡くなってしまう。イザナミの亡骸を比婆さんに葬った後、イザナミを死なせた原因のカグツチをイザナギは十拳剣で首を撥ねてしまう。
 殺されたカグツチの血や臓器から17柱が生まれる。
死んだイザナミは黄泉の国に行ってしまう。
 亡くなったイザナミが忘れられず黄泉の国より連れ戻そうとイザナギは手を尽くすがイザナミは黄泉の国の食物を口にしたため元には戻れず、黄泉国の神に掛け合った。約束を条件にイザナミを待った。だが待ちきれず変わり果てた醜いイザナミの姿を見てしまい、黄泉国から逃げ出しイザナミと決別、黄泉国の穢れを祓う為に禊をした。 
その禊でイザナギの装飾から12柱水中から6柱最後に顔を洗って生ま現れた神こそ「古事記」の神話の主人公「天照大御神、月読命、須佐之男」の三貴子の誕生となった。

「古事記」に出てくる死後の世界は穢れた黄泉の国で神話の世界には神々が住む「高天原」「葦原中国」(地上)「根堅洲国」(根の国)「黄泉国」の4つの国から成り立っている。
 「高天原」は神々が鎮座する天津神の世界。「葦原中国」は地上で峰々に鎮座する「国津神」が君臨する世界。「根堅洲国」(根の国)は地底の世界にスサノオが国津神の祖として棲むとされる。「黄泉の国」は不浄の国穢れた死後の世界にイザナミが住んでいるとされている。
 この世界観は仏教に出てくる六道の世界に似ている。
仏教では一番上段の世界が「天道」は天人が住む世界で、人間より優れた存在とされ、空を飛ぶことが出来、享楽の内に暮らし、煩悩から逃れ、寿命も長生きするとされている。
「人間道」は人間が住む世界で、四苦八苦に悩まされる世界とされている。
「修羅道」は阿修羅が住む世界で、終始戦い、争うと言う。
「畜生道」は牛馬など畜生の世界で、本能のままにいき、仏の教えを受けられない世界と言う。
「餓鬼道」は餓鬼が腹を膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れられない飢えの悩まされる世界と言われる。
「地獄道」罪を償わせる為の世界で地獄の責めに遭わされる世界と言われる。
こう言った仏教の六道の世界と「古事記」に出てくる四つ世界を造り「神々の威厳」の世界と役割と、棲む世界を分けて世界観を造っている点は似ている。
 
三貴子の天照大御神・月読命・須佐之男の三柱はアマテラスの天津神系の正統性とスサノオの国津神系の亜流との対比する展開で、国津神の国造りに天津神天孫が統治する物語が天皇家に繫がる日本の史記を綴ったものと考えられる。
イザナミが亡くなってイザナギの禊の最後に生まれたスサノオが父のイザナギに海の統治を命じられたが従わず、母の国に行きたいと泣きわめき乱暴者に高天原から追放される。
 葦原中国に追放され出雲の国に活路を見出し、国造りに専念し多方面に平らげて、スサノオの子孫オオクニヌシやコトシロヌシ、タケミナカタと渡来系の神々と先住氏族の祖神と峰々に河川に地主神として鎮座、国津神として鎮まっていった。
まず最初のスサノオの国造り拠点となった出雲国では地元に棲む「ヲロチ退治」に結婚と定着し八十神の受ける試練に耐え「稲羽の素兎」を助け、オオクニヌシの家族を形成していった。こうしてオオクニヌシは葦原中国を統治をした頃、天上の高天原から使者がやってきた。
アマテラスオオミカミの子神アメノオシホミミを地上に派遣をするが失敗、次ぎに豪腕タケミカズチとアメノトリフネを使者と出した。
オオクニヌシニ国譲りの直談判をするが、オオクニヌシは隠居に身、子神コトシロヌシに聞くように伝え、コトシロヌシは姿を隠し、弟タケミナカタは力で決することになり、タケミナカタはタケミカズチに握りつぶされ信州は諏訪湖辺りまで逃げ降伏、諏訪湖付近で鎮座し、オオクニヌシは国譲りの条件に巨大社殿を造る事で「国譲り」を了承した。

天津神の地上に天孫降臨する「日向三代」ニニギ、ホオリノミコト、ウカヤ、ウカヤフキアヘズノミコトが物語れ、国津神の妃と交わり融和を図り、天孫後継内の身内争いを繰り返して、初代天皇イワレヒコ(神武天皇)が日向の高千穂をヤマトに向かって東征する。
イワレヒコと兄のイッセイは日向国を立って、豊国の宇沙を経て筑紫国で一年滞在する。さらに北上し安芸国多祁理宮に七年滞在、更に東に吉備国で八年滞在し浪速の渡しを過ぎ、白肩の津を登美の豪族にイッセイが亡くなってしまう。体制を立て直し紀伊国を迂回し、熊野で神(先住氏族)と戦い苦戦をしながら大和に到達する東征は対立氏族や部族を融和、戦いを重ねて大和に到達したとことは誰もが周知の所である。

「古事記」には神話の編纂に国津神、先住氏族の祖神の神々を多く記されている。
特に出雲系の地主神、国造りの神々は古くは諸国に分布する一ノ宮の祭神から国津神と天孫の天津神の中央のヤマト王朝との対立、紛争を推測することが出来る。
一 六十余諸国一国に一ノ宮に選ばれた神社の祭神は由緒、権威、勢力などを兼ね備えた神社である。本来なら天孫降臨の祭神が多くあっても良いものだが、多くは出雲系の国津神が大部分を占める。
二 天孫天津神と対立し「国譲り」をしたとされる、国津神の神々の分布は①大和から尾張、三河、遠江、武蔵野への流れ、②大和から能登、越中、越後へ、③大和から丹波、出雲、への流れがあるようだ。大和国一ノ宮は大神神社でオオクニヌシと同一神とされる神で、天孫降臨の子々孫々は大和国から国津神を一掃できなかった。大和を拠点の天孫アマテラスも天武朝の少し前の五世紀から六世紀に伊勢に鎮座を見た。
三 先住氏族、部族、豪族の祖神、氏神が諸国多く見られ、潮流によって北上し漂着、土着し祖神を祀ったり地主神としてその地域の神として鎮座、君臨する神など居たと思われる。
四 一早く天孫の軍神となった四道将軍も派遣され、その地で土着し氏族の祖神となる場合など元来の地主神と融和した神々。
五 渡来系の神々に、日本人の起源を考えてきた場合、縄文時代後期の推定七万五千余りが、弥生時代には五十九万五千余りを考えた場合大陸より多くの人工の流入が考えられる。征服者の天津神系も多種多様に戦いと融和を重ねながら、包み込み生み出されていった「八百万の神々」なのである。