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山形・新潟を旅してきた その5 2日目 山形霞城公園から新庄へ

2013-09-23 13:09:54 | 旅行・鉄道
さあ2日目です。
この日は山形市内を少し散策したのち、山形線で新庄へ移動します。
そして新庄で100分の列車待ちをして、陸羽西線で余目、羽越本線で酒田へと動き、酒田市内を観光。
その後翌日の移動を考慮して、羽越本線を鶴岡へと南下して宿泊するという流れです。




実は山形駅を出る列車を1本早くすれば、新庄駅での乗り換え待ちを大幅に減らせました。
ただそうすると、山形市内も新庄市内も見ることなく移動することになります。
そこで、山形駅を10時18分に出る列車を選択したのでした。
早く着けばいいというものでもないのですからね。


ちなみに鈍行旅行での列車待ちは、30分~1時間くらいが一番時間の使い方に困ります。
15分前後ならさっと乗り換えるだけ。
1時間を越えたらその町を散策する時間にあてられます。
でも30分~1時間だと、待機には長いし散策するには短いしとホント微妙なんですよね……



山形 霞城公園

霞城公園は、山形城址二の丸跡を中心とした公園です。
霞城と書いて「かじょう」と読みます。山形城の別名が「霞城」なんだそう。

現在のところ城はそのほとんどが失われており、復元作業の最中です。
とはいえ復元のための史料が見つかっていない部分も多く、復元のめどがたっていないところもあるとか。
山形市による本丸全体の発掘調査のめどが2033年ということで、かなり気の長いことになりそうです。



本丸南東に位置する高麗門は、今年7月に完成したばかり
しかしお堀は空です。
草ぼうぼうのお堀とは珍しい(笑)



山形 済生館

山形城址を見終えてしまったので、少し早めでも駅に戻ろうかと歩き出したところ、
なにやら不思議なデザインの建物に出くわしました。



説明の看板を読んでみると山形市郷土館で、もともとは「済生館病院本館」だとあります。
なんでも明治初期において、東北地方の医学の中心となったところなんだとか。



一見すると洋風建築ですが、中庭は日本庭園になっているなど、洋風とも和風とも言えない不思議な造りになっています。
明治初期、西洋の建物を日本の職人が見よう見真似で建てたからで、こういう建物を「擬洋風建築」というんだそう。
山形県内にはこのほかにも、擬洋風建築の建物が多く残っていますが、
それはこの済生館を建てる際に従事した棟梁たちが、形式を踏襲して建てたためと言われています。

つまり明治初期の東北地方における医学の中心であり、また建築においても中心となっていた建物だったんですね。
そんな歴史的な建物に偶然出会えたというのは、なかなか幸福なことだなぁと思いました。



山形線 山形→新庄


済生館を見終えたら、今度こそ新庄へと向かいましょう。
この辺りは山形新幹線と山形線が同じレールの上を走ります。



列車そのものは東北地方でよく見かける701系なのですが、
山形新幹線開通により標準軌化された線路に対応するよう作られた
5500番台というやつなのです。




山形駅から1時間強で新庄駅に到着です。
新庄駅は山形新幹線の終着駅であり、奥羽本線のここより北の区間は在来線の狭軌に戻ります。
そのため山形方面から来た山形線の在来線列車は、この先へ進むことができません。
それを逆手にとって(?)、新庄駅はH型のホーム構造にして、階段の昇り降り無く各乗り場を行き来できるようになっています。
なんというバリアフリー!

図解すると、つまりこういうこと。





新庄駅ホーム中央付近からの写真がこちら。
画面中央から左への通路が、ホームを渡る連絡通路になります。
在来線ホームから新幹線ホームへ平面移動だけで渡れるのは不思議な感じ。



山形新幹線の終着駅ともあって、新庄駅は立派ですね。


次に乗る陸羽西線の列車までは、100分ほどの待ち時間があります。
そこで駅から歩いて15分ほどの、新庄城址である最上公園に行ってみることにしました。
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