
教訓:素直にバスを使いましょう
高野山駅でケーブルカーから降りたのち、さて高野山をどう回ろうかと考えました。駅の目の前にはバス停があり、バス専用道路を経由して10分少々で入り口である大門まで行けるみたい。
ケーブルカーから降りた私以外のの乗客はみな、誰ひとり例外なくバスに乗り込んでいました。
しかし地図を見ると、それとは別にもう1本道路があり、歩いても行けるようです。
このとき、私の頭の中にこんな囁きが。
「せっかく聖地高野山に来たなら、自分の足でお参りするべきじゃね?」
このとき高野山の気温は氷点下1℃、積雪は7センチほど。
自分の装備はというと、ダウンジャケットに防風フリース、防風ジャケット、ブレスサーモの肌着、
防風フィルム入りジーンズにスキータイツ、軽登山靴とひと通り揃ってはいます。
じゃあせっかくだから、歩きだしてしまったわけです。
すると……

もはや高野山雪中行軍です。

道路の脇を見れば、下界ははるか彼方。
結局雪道を30分ほど歩き続けて、ようやく入り口である大門に到着しました。
道中歩行者は全く見当たらず、行き交う車もあまり多くなく。
大門・金剛峰寺・奥の院といった観光スポットへ向かうバスは、
どれもケーブルカーとの接続を考えられたダイヤが組まれているので、素直にバスに乗るのがベターですね。
もちろん歩いてたどり着いた方が、達成感は大きいのですけれど。

何も無い山道を越え、たどり着いた先にあった大門。
圧倒されるような大きさで、この山が特別な山であることを
改めて思い知らされました。
今も空海の息遣いが聞える、天空の宗教都市
雪の中での高野山参りはなかなか大変でした。年の瀬でも観光客はそこそこ居て、足元の雪はある程度は踏み固められているものの、
それでも雪に慣れない東京人には雪道での散策は難しいものです。
さらに、車の通りが多いわりには歩道のスペースが大きくなく、雪はねを避けるのも一苦労。
ただし写真だけは素晴らしいものが撮れます。
もともと静謐な場所が、雪の白さと重みを受けてなお一層厳かさを増すのですから。

壇上伽藍の根本大塔。
銀世界に朱塗りが映えます。

これほどの雪でなければ撮れないような写真が、
いくつも撮れました。
壇上伽藍から少し歩けば、真言宗総本山 金剛峰寺があります。
小学校の歴史の授業で習って以来、二十年を経てようやく訪れることができました。
信心深い方ではないですが、我が家の宗派が真言宗なので、ここに来られたのはやはり嬉しいものです。

金剛峰寺でお参りを済ませた後、1kmほど歩くと奥之院の入り口にたどり着きます。
ここから続く2kmほどの道の両側には、無数の石塔が立ち並んでいます。

弘法大師様は今も、この奥の院の最奥で瞑想していると考えられています。

ああ、なんと静かな場所でしょうか。
皇族から無名の民まであらゆる階層の人々が、
弘法大師様のもとで安らかに眠りたいと願ってきた場所です。
亡くなった者への想いが数百年間の長きに渡り、積み重なってきた場所。
それがこの高野山の本質なのでしょう。
御廟をお参りしたら、奥の院前バス停まで戻り、バスで高野山駅へと戻りました。
ほんとは何か食べていきたかったんですけど、なにも食べずに高野山を降りましたよ。
12月30日では空いている飲食店が少なく、高野山らしいものにはありつけそうにありませんでした。

高野山駅から大門、壇上伽藍、金剛峰寺を経て、
奥の院の御廟まで2時間50分、10kmの高野山参りでした。
次に来るときには、足場の良いときにしたいものです。