初日の続きです。
予想以上に面白かったため北方民族博物館で時間を使ってしまったので、
オホーツク流氷館の見学は断念せざるをえませんでした。
それでも併設されている無料展望台には登ってきました。


白い建物が天都山展望台。

天都山展望台から東を望む。
手前の街が網走の市街地で、中央奥にそびえるのが斜里岳。
そこから左手に連なるのが知床連山でしょうか。
さすが北海道、雄大な景色ですねぇ。
博物館 網走監獄
展望台から降りたら、観光施設めぐり線バスに乗って博物館網走監獄へと移動します。
ここは公式HPのインターネット入館割引券を見せると、10%割引で入ることができます。
忘れずにあらかじめゲットしておきましょう。
敷地面積は東京ドーム3.5個分と言われるこの施設、中はとにかく広いです。
全ての建物を回ったところ、1時間半かかりました。
主な施設だけかいつまんで観て回っても、1時間はかかるでしょう。
雪の積もった冬であれば、もっとかかるかもしれません。
もしも行かれる方は、網走監獄の見学時間は長めにとることをお勧めします。
五翼放射状舎房です。
これは明治45年から昭和59年まで、網走刑務所で実際に使われていた獄舎。
中央の見張り棟から5つの舎房が伸びる、珍しい形状をしています。
上から見るとこんな風になってます。
少人数での監視がしやすいように、このようなつくりになっているそう。
あっ、脱獄囚発見!
これは各地の刑務所を4回も脱獄し、「昭和の脱獄王」と呼ばれた
白鳥由栄のマネキンだとか。
こちら五翼放射状舎房の独居房。
ここには入りたくないなぁ……
こちらは現在の網走刑務所の部屋を模したもの。
昔のものと違い、かなり清潔感ある部屋ですね。
ずっと居たら息が詰まりそうなのは、どちらも変わりませんが。
ここは夏よりも冬に来るべきだったのかなぁ、と実際に訪れてみてそう感じました。
明治中期、この網走の囚人たちは網走から北見へと向かう「北見道路」の工事のために1115人が動員されたものの、
1年間で160kmあまりの道路を建設したため、工事は過酷を極めました。
北見峠越えの70kmの区間だけでも186人が亡くなり、これは380mに1人が死んでいった計算となります。
厳しい環境の中での過酷な重労働により、全体では215人の囚人が命を落としたとか。
ある意味「北海道開拓史の影」とも言えるのが、この網走の刑務所だったわけです。
そういう意味ではやはり厳しい冬の寒さを体験しなければ、囚人たちの苦しみの一片も理解できないわけで、
冬に来るべきだったのかなと思ったわけです。
まあ、この日の網走は29℃まで上がっていたうえに、しかも雨上がりの蒸し暑さがあったので、別の意味で過酷なところだったんですが。
バスも列車も監獄の施設内も、ほとんどはクーラーなんてついてないですからね(;´~`)
釧網本線 網走~知床斜里
17:00発の観光施設めぐり線バスに乗って網走駅に戻ったら、知床斜里へと向かいます。
網走駅で1時間待ちと、バスと列車との接続が悪いですね。
ちなみにバスの方はこの便が最終なので、斜里方面の列車に乗りたい場合は
どう頑張ってもこの1時間待ちにハマることになります。
札幌へと向かう特急列車が17:18発なので、バスはそれに合わせてあるのでしょう。
斜里方面の列車に接続するバスがあったら、もう少し時間に余裕のあるスケジュールになったのに……
ちなみに網走泊でなく知床斜里泊にしたのは、次の日のウトロ方面への移動を考えてのこと。
網走に泊まった場合、知床斜里からウトロ方面へと向かう8時台のバスに間に合わせようとすると、網走駅を6時台に出ることになります。
それが嫌だったので、夕闇迫るなか知床斜里へと向かう列車に乗ることにしたのです。
網走駅。主要都市の駅にしては寂れている感じですが、
北海道の駅ってわりとこんな感じですよね。
釧網本線の網走~知床斜里間は海沿いを走るので、景色が良いです。
次に来たときは昼間に乗りたいですね。
世界遺産知床への玄関口、知床斜里駅は2007年に改築され、
周囲に似合わないくらい立派なものになっていました。

初日の移動ルート。
明日はいよいよ世界遺産 知床の地へ参ります。