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今年の節分は2月3日。高橋国禎氏が総代で責任役員の坂戸御嶽神社の節分祭を紹介します。高橋氏と私とは20代の時からの親友中の親友で、私は社会運動、高橋さんは色々な宗教を勉強する為に40ヶ国を廻り回った宗教研究科でもあり子どもを守り隊の会長をやってもらっています。





高橋会長が総代の~安らぎの杜~まちの鎮守、坂戸御獄神社(さかとみたけじんじゃ)を紹介します
<山岳信仰を受け継いだ鎮守>
所在地  川崎市高津区坂戸2-20-1(旧番地 坂戸403番地)
創建時代 嘉永2年(1849年)新築
祭神   日本武尊(やまとたける)
     八幡神社(はちまんじんじゃ:右)
     彦火火出見命ひこほほでみのみこと
     豊玉比売(とよたまひめ)
     面足神社(おもたるじんじゃ:左)
     面足尊(おもたるのみこと)
     惶根神(かしこねのかみ)<旧大陸天(だいろくてん)
例大祭  10月第1日曜日



神奈川県神社誌では荏原郡調布村御嶽神社より分霊したとしています。荏原郡調布村の御嶽神社は現在の大田区北嶺町の御嶽神社で木曽御嶽神社の分社です。ですが御嶽神社の祭神の国常立命(くにのとこたちのみこと)は現在の坂戸の御嶽神社には祀られていません。明治初年に村内の八幡社と第六天社(現在の面足神社)を本殿に合祀しました。ところがその後、村で火災など凶事が多く発生し、それが合祀の祟りと噂されたことから今は本殿の左右に分けて祀られています。



高津村風土記より
村の総鎮守であるが創建年代も由来も不明である。安養院持ちであったが同寺の由来も詳らかでは無い。 現在祭神は日本武尊となっているが、これも明治初期の神仏分離令以降に定めたものであろう。 社名は古くから御獄社である。 現在の社殿についても正確な記録は見あたらず、古老の伝えによれば、嘉永2年(1849)に新築見積りを行い、2年後に完成したという。又この時の大工は近くの溝口家であったが職人気質のため仕事に熱中し家計を顧みる事が無く、ついに同家は社殿完成と共に一家離散したという。

当時の社殿は草葺であったので大正初期に改築され、さらに昭和41年(1966)9月屋根替を行いトタン葺となった。そして平成23年に修繕が行われた。神社統廃合により村内にあった八幡神社、第六天社を合祀したが、村内に火災が発生したり悪疫の流行や、些細な事から村民が争う事が多くなった。3神を同居させたため神々が怒り争い村内が乱れる、と考えた村民は再び3神を分離し、本社の左右に祠を建て末社とした。但しこの年代は不明である。明治末期の事らしい。























昨年の節分祭の写真紹介(一部) 











その他の写真集(一部)




























宵宮の演芸(大江裕ショー)



空手道拳心会森道場 森明夫館長
住所:川崎市高津区子母口976



日本空手道拳友会、沖縄剛柔流空手道拳志会千葉県支部、上野派糸東流、神道天心流拳法の道場
代表:川隅敏最高師範
住所:274-0824千葉県船橋市前原東5-23-9







愛海 愛、火のように京都 演歌百撰