この記事の一部に東日本題震災の内容があります。
精神的ストレスを感じる可能性がある方は読むのを中止してください。
先月のこと。
ある人と久しぶりに電話で話した。
その人は、私が三重県に住んでた時の職場の人。
彼女は、日系ブラジル人。
働き者で日本語も上手で。
私も彼女を信頼し、彼女も私を頼り可愛がってくれた。
彼女は私のことを苗字や名前で呼ぶことはなく、「おねえちゃん」と呼んでいた。
いつだったかもらったはずの彼女の携帯番号が書かれた紙をなくしてしまった。
番号の紙をもらってすぐに登録すればよかったのに、していなかった。
それに気付いたのは、三重県での仕事を辞めてしばらく経ってからのこと。
何人かに聞いてみたけど、電話番号は分からず、私が辞めてから部署も分裂。
連絡の取りようがなくなってしまった。
その数年後、私は三重県を離れ地元に戻った。
地元へ戻って4日目の3月11日 14時46分
「東日本大震災」発生
あの長い揺れの中レオを抱え、壁にへばりつき泣き叫んでいた。
壁が波打っていたようにも思う。
停電にも遭った。
揺れがおさまってすぐに、涙を拭いレオと母の愛犬を連れ車に逃げた。
まだ雪が降っていた3月。
暖を取れず、電気も使えない。
余震も続いて常に怯え、寒さに震えていた。
ろうそくに火をつけ、缶詰をおかずにご飯を食べ、いつでも避難できるようジーンズにダウンジャケットで布団に入った。
服を何枚も重ねても体が冷える。
眠りも浅く、すぐに目を覚ましてしまう。
あの日のことは、未だに鮮明に覚えてる。
一生忘れられないと思う。
先月彼女と連絡を取れたのは、私がある人に電話したことから始まった。
ある人とは、三重県の時の会社の上司。
この上司には、かなり助けられたこともあり、入籍の連絡をしようと思ったから。
この上司のことを私は「おとん」と呼んでる。
今は富山県に住んでることと、入籍することを話した。
ものすごい喜んでくれた。
一通り報告を終え、上司の体調を聞いてみた。
年も年なんだから、無理したらダメと。
上司は66歳で毎週日曜日はゴルフに通ってるから大丈夫だと。
すると、上司が「ちょっと待ってて」と誰かを呼びに行った。
電話口に出たのが、日系ブラジル人の彼女だった。
はじめ、彼女は誰だか分からない様子で、上司に誰だか聞いていた。
私が「おねえちゃん」と言うと、思い出したようで、泣き声に近い声を上げた。
「おねえちゃん、どうしたの!?大丈夫だったの?」と言われ、何のことか分からず聞いてみた。
彼女が言うには
「大きな地震あったでしょ?あの時、ブラジルにいる両親と何人もの友達が連絡してきたのよ!日本は大丈夫か!?って。
地震のあとアメリカの友達が言ってた 何か力になれることはないか?なんでも言ってくれ!って。
アメリカから祈ってる! PRAY FOR JAPAN!」
知り合いも津波にのまれた。
同級生も津波にのまれた。
友人宅もお店もなくなった。
まだ連絡がつかない人もいる。
家族を亡くした人もいる。
何もかもなくなった。
怖かった。
辛かった。
彼女の言葉と、彼女の友人の言葉がありがたかった。
電話口で我慢できず泣いてしまった。
頑張れ日本!負けるな東北!
RISING●SUN
本音を言うと、震災のことは書かないつもりでした。
でも、彼女と彼女の友人の言葉が嬉しかったのと、下の動画を見て何か一連の事が繋がるような気がして書いてみました。
相方や親友にもしてない話で、話すとまた泣いてしまうと思ったから、ブログに更新しました。
精神的ストレスを感じる可能性がある方は読むのを中止してください。
先月のこと。
ある人と久しぶりに電話で話した。
その人は、私が三重県に住んでた時の職場の人。
彼女は、日系ブラジル人。
働き者で日本語も上手で。
私も彼女を信頼し、彼女も私を頼り可愛がってくれた。
彼女は私のことを苗字や名前で呼ぶことはなく、「おねえちゃん」と呼んでいた。
いつだったかもらったはずの彼女の携帯番号が書かれた紙をなくしてしまった。
番号の紙をもらってすぐに登録すればよかったのに、していなかった。
それに気付いたのは、三重県での仕事を辞めてしばらく経ってからのこと。
何人かに聞いてみたけど、電話番号は分からず、私が辞めてから部署も分裂。
連絡の取りようがなくなってしまった。
その数年後、私は三重県を離れ地元に戻った。
地元へ戻って4日目の3月11日 14時46分
「東日本大震災」発生
あの長い揺れの中レオを抱え、壁にへばりつき泣き叫んでいた。
壁が波打っていたようにも思う。
停電にも遭った。
揺れがおさまってすぐに、涙を拭いレオと母の愛犬を連れ車に逃げた。
まだ雪が降っていた3月。
暖を取れず、電気も使えない。
余震も続いて常に怯え、寒さに震えていた。
ろうそくに火をつけ、缶詰をおかずにご飯を食べ、いつでも避難できるようジーンズにダウンジャケットで布団に入った。
服を何枚も重ねても体が冷える。
眠りも浅く、すぐに目を覚ましてしまう。
あの日のことは、未だに鮮明に覚えてる。
一生忘れられないと思う。
先月彼女と連絡を取れたのは、私がある人に電話したことから始まった。
ある人とは、三重県の時の会社の上司。
この上司には、かなり助けられたこともあり、入籍の連絡をしようと思ったから。
この上司のことを私は「おとん」と呼んでる。
今は富山県に住んでることと、入籍することを話した。
ものすごい喜んでくれた。
一通り報告を終え、上司の体調を聞いてみた。
年も年なんだから、無理したらダメと。
上司は66歳で毎週日曜日はゴルフに通ってるから大丈夫だと。
すると、上司が「ちょっと待ってて」と誰かを呼びに行った。
電話口に出たのが、日系ブラジル人の彼女だった。
はじめ、彼女は誰だか分からない様子で、上司に誰だか聞いていた。
私が「おねえちゃん」と言うと、思い出したようで、泣き声に近い声を上げた。
「おねえちゃん、どうしたの!?大丈夫だったの?」と言われ、何のことか分からず聞いてみた。
彼女が言うには
「大きな地震あったでしょ?あの時、ブラジルにいる両親と何人もの友達が連絡してきたのよ!日本は大丈夫か!?って。
地震のあとアメリカの友達が言ってた 何か力になれることはないか?なんでも言ってくれ!って。
アメリカから祈ってる! PRAY FOR JAPAN!」
知り合いも津波にのまれた。
同級生も津波にのまれた。
友人宅もお店もなくなった。
まだ連絡がつかない人もいる。
家族を亡くした人もいる。
何もかもなくなった。
怖かった。
辛かった。
彼女の言葉と、彼女の友人の言葉がありがたかった。
電話口で我慢できず泣いてしまった。
頑張れ日本!負けるな東北!
RISING●SUN
本音を言うと、震災のことは書かないつもりでした。
でも、彼女と彼女の友人の言葉が嬉しかったのと、下の動画を見て何か一連の事が繋がるような気がして書いてみました。
相方や親友にもしてない話で、話すとまた泣いてしまうと思ったから、ブログに更新しました。