薙刀山・野伏ヶ岳の山スキーに出かける前夜、石徹白にある白山中居神社(はくさんちゅうきょじんじゃ)の駐車場で車中泊させていただきました。
ここにはトイレがあり、除雪もされ、他にも同じような車が5台停まっていました。
この石徹白の歴史は古く、石徹白公式ホームページによると、
「石徹白は平安時代から鎌倉時代にかけての白山信仰が盛んな時代には「上り千人、下り千人、宿に千人」と言われるほど修験者の出入りで栄えた土地であり、近世(明治)まで神に仕える人が住む村としてどの藩にも属さず、年貢免除・名字帯刀が許されたところです。
ゆえに「中世的支配体制」が明治になるまで維持され独特の文化が形成されました。」
と紹介されています。
また白山中居神社は、白山神社の一つで白山信仰と深い関わりがあり、社殿は樹齢千数百年といわれる杉に囲まれています。
3月14日撮影、まだ雪が深い。(右の白い山は雪)
写真中央の木柱には「白山古道」の文字が見られます。
1885年(明治14)以来福井県に所属していた石徹白村でしたが、1958年(昭和33)には岐阜県白鳥町(現・郡上市)に分水嶺を越えて越県合併したため、岐阜県では珍しい九頭竜川水系の川となりました。
石徹白川に架かる橋からは、白山山系の銚子ヶ峰から一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰方向へと連なる山並みが見られます。
せっかく登山に出かけるなら、登山口の歴史や文化も知っておけば、より登山が深まりますね。
次回石徹白を訪れる際には、ゆっくり散策、してみなくっちゃ
ここにはトイレがあり、除雪もされ、他にも同じような車が5台停まっていました。
この石徹白の歴史は古く、石徹白公式ホームページによると、
「石徹白は平安時代から鎌倉時代にかけての白山信仰が盛んな時代には「上り千人、下り千人、宿に千人」と言われるほど修験者の出入りで栄えた土地であり、近世(明治)まで神に仕える人が住む村としてどの藩にも属さず、年貢免除・名字帯刀が許されたところです。
ゆえに「中世的支配体制」が明治になるまで維持され独特の文化が形成されました。」
と紹介されています。
また白山中居神社は、白山神社の一つで白山信仰と深い関わりがあり、社殿は樹齢千数百年といわれる杉に囲まれています。
3月14日撮影、まだ雪が深い。(右の白い山は雪)
写真中央の木柱には「白山古道」の文字が見られます。
1885年(明治14)以来福井県に所属していた石徹白村でしたが、1958年(昭和33)には岐阜県白鳥町(現・郡上市)に分水嶺を越えて越県合併したため、岐阜県では珍しい九頭竜川水系の川となりました。
石徹白川に架かる橋からは、白山山系の銚子ヶ峰から一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰方向へと連なる山並みが見られます。
せっかく登山に出かけるなら、登山口の歴史や文化も知っておけば、より登山が深まりますね。
次回石徹白を訪れる際には、ゆっくり散策、してみなくっちゃ