高校3年生の時、受験勉強の合間に手に取った「日本百名山」。
当時は山のことなど全く知りませんでしたが、久弥の文章には惹かれました。
白山の項目から引用します。
「日本人は大ていふるさとの山を持っている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護神のような山をもっている。そしてその山を眺めながら育ち、成人してふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている。(後略)」
「私のふるさとの山は白山であった」
久弥は1903(明治36)年、石川県加賀市大聖寺で生まれました。
その隣町で私も生まれ育ったので、白山に対しては、久弥とよく似た気持ちを抱いています。
「夕方、日本海に沈む太陽の余映を受けて、白山が薔薇色に染まるひと時は、美しいものの究極であった。みるみるうちに薄鼠に暮れていくまでの、暫くの間の微妙な色彩の推移は、この世のものとは思われなかった」
「北陸の冬は晴れ間が少ない。たまに一点の雲も無く晴れた夜、大気がピンと響くように凍って、澄み渡った大空に、青い月光を受けて、白銀の白山がまるで水晶細工のように浮き上がっているさまは、何か非現実的な夢幻の国の景色であった」
18歳の冬、受験勉強で遅くまで起きていたある夜、珍しく快晴で満月でした。
久弥の文章に描かれた水晶細工の白山を見ようと、家を抜け出し前の田んぼへ。
そこから見た白山は蒼白く輝き、まさに空に浮かんだ夢幻でした。
以来、白山は私にたくさんのことを与えてくれています。
2年余りの南米暮らしから帰国した時も、白山を見て「帰ってきた!」と感激し涙がこぼれたことを覚えています。
中高年に百名山がブームだそうですが、ぜひ「日本百名山」を読んでから登っていただきたいと思います。
当時は山のことなど全く知りませんでしたが、久弥の文章には惹かれました。
白山の項目から引用します。
「日本人は大ていふるさとの山を持っている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護神のような山をもっている。そしてその山を眺めながら育ち、成人してふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている。(後略)」
「私のふるさとの山は白山であった」
久弥は1903(明治36)年、石川県加賀市大聖寺で生まれました。
その隣町で私も生まれ育ったので、白山に対しては、久弥とよく似た気持ちを抱いています。
「夕方、日本海に沈む太陽の余映を受けて、白山が薔薇色に染まるひと時は、美しいものの究極であった。みるみるうちに薄鼠に暮れていくまでの、暫くの間の微妙な色彩の推移は、この世のものとは思われなかった」
「北陸の冬は晴れ間が少ない。たまに一点の雲も無く晴れた夜、大気がピンと響くように凍って、澄み渡った大空に、青い月光を受けて、白銀の白山がまるで水晶細工のように浮き上がっているさまは、何か非現実的な夢幻の国の景色であった」
18歳の冬、受験勉強で遅くまで起きていたある夜、珍しく快晴で満月でした。
久弥の文章に描かれた水晶細工の白山を見ようと、家を抜け出し前の田んぼへ。
そこから見た白山は蒼白く輝き、まさに空に浮かんだ夢幻でした。
以来、白山は私にたくさんのことを与えてくれています。
2年余りの南米暮らしから帰国した時も、白山を見て「帰ってきた!」と感激し涙がこぼれたことを覚えています。
中高年に百名山がブームだそうですが、ぜひ「日本百名山」を読んでから登っていただきたいと思います。
言葉に出来なくても、その人が見たまま、感じたままの姿が体(心)の中で像を結んでいます。
目も大切ですが体(心)で感じて欲しいと思います。
そうすることで百名山などどうでもよくなるのではないでしょうか。
新しい山を求め走り回る姿はとても美しいとは思えません。
そういった意味で私の山は二上山。
そして立山連峰です。
何百回行っても飽きません。
ましてや膝が言うこときかないとなると、暇に任せて山の本を読み漁り、なおさら「行きたいよ~」とね。
頭の中ではマッターホルンやアコンカグアへ、すでに5回は登っていますかも!