ソウル中心街を東西に貫いて約10kmの長さで流れる清渓川(チョンゲチョン)。4年前まではドブ川の上に蓋がされて道路となり、さらに上部には高速道路が走っていました。これは当時を再現した模型です。
ところがソウル市長選で、候補者の一人の李明博(イミョンバク)氏は、この川に清流を取り戻すことを公約にして当選。早速彼は清渓川再生プロジェクトに着手します。
まずは高速道路を撤去しコンクリートの蓋を壊すと、悪臭を放つ川が姿を現しました。厚く堆積したヘドロを浚渫。コンクリート三面張りをはがして自然石をくみ上げ、緩やかなカーブを作っていきます。また川の両側には遊歩道を設け、市民が楽しく歩けるよう工夫しました。さらに世界からコンペでデザインを募集し、さまざまな意匠の橋をかけました。
そして2005年10月に完成。私はその2ヵ月後、環境会議でソウルを訪れた際に、知人がこの清渓川へ案内してくれました。
日中は川を楽しみながらウォーキングする大勢の市民で賑わい、夜はライトアップされデートスポットに。
また環境教育の場、「清渓川ミュージアム」も建てられ、全国から小中高校生が訪問し学んでいました。
かつてここが高速道路だったことを示す「負の遺産」も一部保存されています。
高速道路を撤去したかわりにすぐ近くに地下鉄をオープンさせ、ソウルは脱車社会の第一歩を踏み出しました。
「環境に配慮した都市デザイン」という概念を強烈に感じさせます。
この李明博(イミョンバク)前ソウル市長。現在は大統領です。きっと韓国をそのリーダーシップで素晴らしい方向へと導くことでしょう。
ところがソウル市長選で、候補者の一人の李明博(イミョンバク)氏は、この川に清流を取り戻すことを公約にして当選。早速彼は清渓川再生プロジェクトに着手します。
まずは高速道路を撤去しコンクリートの蓋を壊すと、悪臭を放つ川が姿を現しました。厚く堆積したヘドロを浚渫。コンクリート三面張りをはがして自然石をくみ上げ、緩やかなカーブを作っていきます。また川の両側には遊歩道を設け、市民が楽しく歩けるよう工夫しました。さらに世界からコンペでデザインを募集し、さまざまな意匠の橋をかけました。
そして2005年10月に完成。私はその2ヵ月後、環境会議でソウルを訪れた際に、知人がこの清渓川へ案内してくれました。
日中は川を楽しみながらウォーキングする大勢の市民で賑わい、夜はライトアップされデートスポットに。
また環境教育の場、「清渓川ミュージアム」も建てられ、全国から小中高校生が訪問し学んでいました。
かつてここが高速道路だったことを示す「負の遺産」も一部保存されています。
高速道路を撤去したかわりにすぐ近くに地下鉄をオープンさせ、ソウルは脱車社会の第一歩を踏み出しました。
「環境に配慮した都市デザイン」という概念を強烈に感じさせます。
この李明博(イミョンバク)前ソウル市長。現在は大統領です。きっと韓国をそのリーダーシップで素晴らしい方向へと導くことでしょう。
過酷な山歩きのお供は無理ですが、手術後のリハビリ程度だったら、私でもお供できると思います。
企画していただけたら、嬉しいです♪
町づくりの視点での高岡散歩、企画ありましたら私も参加させてください。膝手術後のリハビリにぴったり!
ガイドは熊さんかな~
私は小2までしかいなかったので、残念ながら小学校の前を流れていた川のことはほとんど覚えていません。
でも、大人になってから、仕事のためにあの道を月に1度は通るようになって「この道、こんなに広くなかったよな」
「この蓋みたいな構造は、きっと下は用水だったんだよな」と。
やはり、一か所は、あの場所のことでしたか。
文具屋さんは「上杉」という名前です。
私は、大人になってから、たまたまそこのお嬢さんとアメリカに行く機会がありました。
私自身は、当時の文具屋さんの記憶も(小2までの記憶なので)かなりおぼろですが。
実は、小2で転校してしまったために、断ち切られてしまった過去の記憶というのは、ものすごく懐かしいです。
小学校から中学校のほうへも、線路をわたるような感じで(小学校に向かうとすると左側に)道があったでしょう?
そのあたりにも、川がありませんでしたか?
その川は、中学校の剣道場やグラウンドの脇?を流れていたような気がするのですが、この記憶は正しいでしょうか?
昔は小さな用水がいたるところにありましたね。私も用水で遊んだ記憶があります。
でも、私が子供の頃に見た用水のあたりの場所は、今はもうすっかり住宅地なので、用水を見ることはないかもしれません。
町づくりの視点で街中を散歩、ですか?
私ひとりでは難しそうですが、面白そうですね。
その小学校、ぼくの母校です。
前に流れているのが荒川です。蓋をしちゃったので分からないと思います。
川の両側に普通の草付け道がありました。自転車や人しか通れないものです。
丁度北側の校門辺りの向かいに駄菓子屋兼文房具屋がありませんでしたか?
この荒川は上流では何号用水って言うのでしょう。農業用水路の一つのはず。
もう一本は高岡駅から西の方向およそ500mくらいでJrを横断し北上、白銀町で東へ向きを変え万葉線の横を流れていきます。土蔵の街並みあたりでまた方向を変えて平米小学校の校庭横から町中をうろうろし何処かへ・・・。こちらはぼくの記憶の限り白銀町までは開渠でした。今でもそのはずです。
この二本を開いて水辺空間にしてしまえば面白い町づくりが出来るはず!と思うんですけど単なる懐古趣味になっちゃうのかな(笑)
町に水は必要です。
自然水で野菜を洗ったり子供が遊んだり出来るといいですね。
さとりんさん、町づくりの視点で町中を散歩すると面白い発見があるかもしれませんよ。
Repuさん、この場所は素晴らしい出会いの場所ですね!感謝します。
私は今、高岡に住んでいますが、高岡で育ったとも言い難いところもあって、高岡についてはあまり詳しくありません。
高岡の川と言われて思い浮かぶのは、庄川、小矢部川、千保川。
でも、蓋をかけられ道路になってる?
うーん。
もっと小さい川の話なのでしょうね。
私が名前を知っている川は、あとは地久子川くらいでしょうか。
川ではないのかもしれませんが、私は定塚小学校というところに2年生までは通いました。
で、その幼い時の記憶では、川があったような…(記憶違いかも)
よろしければ、高岡の「蓋をされて道路になっている川」はどこのことなのか、教えてください。
そんなことが高岡でもあるなんて、思ってもみませんでした。
(ヒトリゴト:鮭の替わりに酒を授業料に持っていくことにしよう。)
あの頃古城公園のお堀は綺麗な水草がたくさん生え、水生昆虫も数え切れなく居ました。暖かな日には雷魚もぽっかり浮かんでましたっけ。
池の端には小さな駄菓子屋さんが短い竹を切った竿と小麦の団子を売っててね、それを買えば誰もがいつでも魚釣りに興じることが出来たんですよ。
今から30年前のことです。水質の悪化というより時代が変化すると共に水辺は子供にとって危険な場所とされ釣りは禁じられコンクリートで護岸し柵が設けられました。今でも公園のお堀端を歩くと懐かしくて今の光景が寂しくなります。
コンパクトシティ=都心居住ですよね。
平成7年基本計画を作り目指したのがそれです。今度お会いした時に話します。
今のぼくがもし熊でも鮭より酒かな(笑)
コンパクトシティについては、10年前、ドイツフライブルク市を訪れたとき、強烈な印象を受けました。中心街を車乗り入れ禁止とし、当時すでに路面電車が3路線完成、さらに4路線工事中でした。人口20万の都市でです。自転車と歩行者に優しい街づくり、パークアンドライドという概念も初めて知りました。
その後歩いたヘルシンキ、ストックホルム、コペンハーゲンでも、コンパクトシティを目指す方向性が明確でした。一方日本は???
このテーマは勉強中なので、ぜひ教えてくださいね。 よろしくお願いしま~す
ところで熊さんが取った魚って、やっぱり鮭ですかね~
二つは蓋を掛けられ道路になっています。
その一つは私の母校(小学校)の前にあり小さな頃行き返りに魚を取ったりして水遊びをしたものです。
車を流すための道路の役割は郊外に移りました。これからはコンパクトな街に人が返り人のための道や清流を取り戻すことがとても大切になることでしょうね。
疲弊した地方が少しでも元気を取り戻せるような政策(国策も)が重要ではないでしょうか。
道路特定財源など環境や生活に密着したものにも使われていること(もっと使うべきこと)を誰もが分かりやすく説明しないとね。
取りあえず変な地方間競争はやめないと(笑)