先日、滋賀県東近江市の市長が「フリースクールは国家の根幹を崩す」という発言をしたことを取り上げました。早速、テレビ局は雪崩をうってという表現がふさわしいほど、「波紋」を呼ぼうとしてキャンペーンをやりました。
自民党などの推薦や元警察という肩書きを持っている人物なので、当たり前なのでしょうね。記者会見を映していましたが、警察署長をやったこともある人物のようですが、全然ダメでしたね。自分の市のフリースクールの数も把握していなかったようですし、報道には好都合でしたよ。ちゃんと勉強して、想定問答など作らないのかと思いました。
私が最初に指摘したように、実際にフリースクールを見てもいなかったようですし、部下職員に実態を説明させて、把握した上で発言すべきでしたよね。
私がブログに書いてから、インターネットを検索したところ、MBSという関西の毎日テレビとかいう報道が記事を書いていました。その記事では、私の理解では、市長は、フリースクールがあるということで、嫌々学校に行っている子供たちが雪崩を打ってフリースクールに行き始めたらは日本の根幹が崩れると思ったのだと思いました。
つまり、フリースクールという逃げ道があることで、多くの子供たちが行くと大変だと思ったのでしょう。実際に不登校の児童や生徒の数は増加しているのですよね。
ただ、私は、日本が無理矢理学力を伸ばす方向だけに舵を切っていることが悪いのだと思いますよ。日本の偏差値至上主義は治っていませんよ。教育というのは、子供のいいところを伸ばすためのものでしょう。自分お得意な場所で頑張ればいいのですよ。
市長は、発言は撤回しないということのようです。全国の都道府県や市町村もこの市長のように実態を理解する勉強などしないで、感覚で発言するのでしょうね。ですから、論理的な受け答えが出来ないのですよ。自分がダメなら、市の幹部に任せればいいのにとも思います。
今回のブログで私が言いたかったのは、このようなことではなく、報道がいつもやる手法のことです。つまり、市長は、フリースクールに児童や生徒が多く言ってしまう事態になったら困ると思ったとか、真意があるでしょう。それを省略して、発言ばかりを切り取って、ある意味被害者ビジネスにつなげようとしているのですよね。
秋田県の知事の「愛媛県のじゃこ天は貧乏くさい」というのもそうですよ。
そう感じる人もいるでしょう。公人だから気をつけて発言しろとか言わないで、嫌なら次の選挙で投票しなければいいだけでしょう。人それぞれの意見があるのに報道が発言を切り取ってキャンペーンをするのは、反日左翼がよく使う「多様性」を否定しているでしょう。
このように報道達は嫌な世の中を作っていると思うのですよ。国会議員や社長など、およそ社会的地位のあるものは、発言に気をつけろとかいわれると生きていけませんよ。飲食の会場で冗談交じりに発言したことを問題として取り上げたりしていて、うんざりしますよね。
それこそ、中国の監視社会を思い起こします。ここは日本ですよ。自由に発言して、そういう意見もあると思いましょうよ。熊を殺すなという変な意見もあることを認識して、その人達の言動にも注意していくことも忘れないでいたいと思います。