連日、松本人志氏に関連した報道が続いています。それで、私は、今まで感じていた違和感が何だったのかをわかったような気がしたので書いてみました。
それは、この報道は、過去にも同じような手口があったと思ったのですよ。安倍元首相のモリカケ桜とかと同じ構造だと感じるのです。つまり、一方的なのですよね。昔の報道は、自分たちで損害賠償を求められると大変だとか思っていたと思いますが、慎重だったような気がします。しかし、今の報道は、損害賠償とかくらえで、発表した者が勝ちということを知ってしまった陽に思います。
どういうことかといいますと、今回の件では、被害者とされる女性の証言だけでしょう。松本人志氏に取材したとか一行もないですよね。つまり、両者の言い分を突き合わせて何が真実かを見極める作業をすっ飛ばしていると思うのです。刺激的な内容であれば週刊誌がよく売れるという欲望だけで書いているとしか思えないのですよ。
被害者と加害者の発言を突き合わせて、真実を追及しようという姿勢がないことが、私が感じた違和感の正体だと感じたのです。被疑者とされる人や加害者とされる人が一方的に殴られている感じがしませんか。
そもそもですが、芸能界なんてそんな者が多いでしょう。芸能界のすべての人がそうだとは言いませんが、一般の人とは違う感覚を大切にしているのでしょう。テレビ局の関係者も同じでしょう。こんなことは、ほっとけよと言いたいですよ。文春は、不倫だとか、今回のように、有名人の不祥事を暴くことによって利益を上げようとしているのですよね。人の不幸で売り上げを伸ばそうという反日左翼(貧困ビジネスの主体と思っていますから。)そのものですよ。文春の不買運動しましょうよ。
もう一つ、気がかりなのは、こうして皆が聖人君子のような行動を求められるとおかしな世の中になるのではないでしょうか。人は皆が愚かでしょう。それが多様性を認めるということではないでしょうか。細かく、取材して突き詰めると、文春の記者さえも愚かな人間の一人になるでしょう。
皆さんも、正義の味方ぶって松本氏を批判するより、自分は愚かだけど、これはしないよとかいう誇りをもって生きていただきたいと思います。ただし、行き過ぎた誇りは害になりますから、適当な誇りで生きましょうね。