グランマの扉

女4代にぎやかな日々

2018年霜月の東京  静岡・清見寺(前)

2018-11-25 | 旅行



翌日は8時56分発のこだまで静岡へ・・・


娘宅を7時半に出発だったのですが、前日昼寝もせずに元気一杯だったちびお君は、一応起きては来たのですがリビングで倒れ伏したまま

「お正月に待っているから元気でね」と声をかけましたが夢うつつ。
ちび丸君のバイバイだけを貰って娘に最寄駅まで送って貰い東京駅に向かいました。



実はこの度、この日は夫の要望で二月に続き再び静岡へ。


それを知った静岡の友達御夫婦から、又しても案内の申し出を頂きました。

「いや、それは本当に申し訳ない」と当初は遠慮していた夫ですが、前回とっても楽しかったので「御夫婦との再会も叉嬉し・・」という事で、結局はウキウキしてこの日を待ちました。


天気予報では曇り時々雨・・が続いていて、天気は今一と思っていましたら、さすがお天気夫婦の私達。
こだまに乗る頃は空が明るくなって来ました。






朝食は駅弁
品川名物「貝づくし」です。
美味しかった~~




そして車窓には富士山が






今回は内心諦めていたので、テンションが

やはり富士は日本一の山~~~




10時6分、新富士駅で友人夫婦と合流

さっそくご夫君運転の車に乗り込みました。


ここでご夫君から夫へ
「徳川家康に興味が??」と。


そこで知った真実

実は夫、佐伯泰英の時代小説が大好きで、その中でも徳川家康の隠れ旗本・古着屋総兵衛シリーズがお気に入り。
一度その小説内の土地の雰囲気を実際味わいたかったらしい。

・・・つまり所謂ロケ地巡りですね。  




ご夫君はこの度、久能山の東照宮に行きたいという夫の希望を聞いて推察したらしいのですが、私はそもそも「何故に公共の交通の便が良くない久能山へわざわざ・・・」とは思いましたが、別に問いただす事もせず・・・

あらら、そうだったんだ~~~



「ならば、先ず清見寺へ行きましょう」



予定を組んでいてくれていた私の友達、大慌て。

が、夫
「確か、池波正太郎のエッセイで、その寺の事書いてありました。是非行きたいです」


男二人大盛り上がり・・・  

時間の配分があるので、ワイワイ騒いでいる妻を軽~く無視して車は清見寺へ・・





行ってみてびっくりしました。

由緒あるお寺なのに、駐車場からお寺の境内の間は線路が横切っています。







なんでこんな無粋なことを・・

と思いましたが、実は清見寺が建てられた場所は、その昔、東北の蝦夷に備えて関所が設けられた場所。
山が迫り、目の前は海。

線路から現在の海に至るまでの土地は埋め立て地なんだそうです。


線路のある場所は、もともとお寺の敷地ではないんですね。



線路を横切り、この急な階段を上がると









立派な鐘楼が









約600年前、豊臣秀吉が伊豆韮山城を攻めた時に供したものだそうです。


池波正太郎の「食卓の情景」によると、

高山樗牛が

「夜半の寝ざめに鐘の音ひびきぬ」

と詠んだこの鐘の音を当時の池波さんも聞いたようですが、その時代でも道を通るダンプカーの轟音で直ぐ消し去られてたとか。


先日も沢山の車がこの寺の前の道路を行きかっておりました。




ところで、この寺の建っている丘から海を見ると、三保の松原が見えたらしいのですが、清水港の港湾工業地帯がすっと続いていにのに目が奪われ、全然気が付きませんでした。

万葉集にも、そして足利義教・武田信玄・兼好法師等がこの寺から詠んだ三保の松原を、確かめてみたかったなぁ。


まあ、池波さんの時代にはもうはっきり見えなかったようなんですけれど・・・





さて、お寺に入ると









ここから後は、明日。 





トップの写真は、江戸時代初期に築庭され、家康が愛した庭園を眺める友人の後ろ姿です。
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