先日出張の法事に出かけた際、お斎の席で施主の娘さんと隣り合わせになりました。
その方は私と同年代。しかも同じ年の娘さんがいるという気安さもあっていろんな話をしたのですが、その中で印象に残る次のような話をしてくださいました。
「今は元気で専門学校に通っている長女ですが、高校三年の春ころから原因不明の頭痛に悩まされて体調を崩し、かなり心配した時期がありました。
寝ているときは大丈夫なのですが、起き上がると頭痛がするというのです。大好きな部活にも出られません。
最初のころは友人関係で悩んでいるのかと心配したり、勉強が嫌でズルしているのかと疑ったりしましたが、欠席が増えるにしたがってこれは尋常ではないと気づき、
夫と相談して脳神経外科などの病院をまわる事態となりました。
頭痛科のお医者さんに紹介された大きな病院へ行き、ようやく病気がわかりました。「脳脊髄液減少症」というのがその病名でした。
何らかの理由で脊髄についた傷から髄液が漏れ出し、脳が頭蓋骨内で充分な量の髄液に浮かんでいられなくなることが原因で頭痛が起きるのです。
以前からあった病気らしいのですが、原因が判らず、また治癒には時間がかなりかかることもあり、「ズルしてサボっている」とか「怠け者だ」とか言われて人生をダメにしてしまう患者さんがかなりいるといいます。
頭痛で一番つらいのは娘なのに、詐病を疑ってしまった私自身がいまでも情けなく思えて仕方ありません…。
治療のためにひと月余り入院し劇的に症状が改善した娘でしたが、再発すれば卒業できないかもしれない、というくらいまで出席日数がギリギリになっていました。
幸いクラスメートがノートを貸してくれたり勉強を教えてくれたり‥おかげさまでなんとか同級生と一緒に卒業することができました。
発病や治療の時期が受験期にあたったこともあって志望の大学には入れませんでしたが、将来の目標に向かって明るく元気に通学している娘の姿を見ているとホッとします。健康が第一って、本当ですね。」
しみじみと話をされる彼女の眼には、うっすらと涙が浮かんでいます。
「娘の病気のことで家族みんなが不安や喜びを共有した昨年一年間でしたが、かえって気づかされたこともありました。それは「親の想い」ということでした。
入院中の娘の付き添いや見舞いに行ったときに交わした会話の端々に「どこかで聞いたことがあるな」と思う言葉がたくさんありました。
今振り返ってみればそれは紛れもなく、自分が娘と同じ年のころに両親や祖父母からかけてもらっていた言葉でした。
私たちを育てながら父はこんな思いで私を見守ってくれていたのか、母の心の中はこうであったのか…両親や祖父母が私を心配してかけてくれたその想いや言葉を、同じように家族に話している自分がいます。
何十年も前にいただいた愛情で私は今を生きている、そう実感します。
実は新婚間もないころ、私は大病して夫や両親にたいそう心配をかけたことがあったのです。
生きるか死ぬかの大病だったのですが、夫や双方の両親は何気ない風を装い、私が気落ちすることのないよう細心の注意をはらってくれていたのです。
今この瞬間も、思い出せばありがたさに胸が熱くなる感じがします。娘の病気を通じて、そんな自分を支えてくれていた家族にも想いを巡らすことができました。」
今日、母親の年回忌で墓前に額づいてあらためて両親や祖父母に感謝の言葉を述べさせていただいたという彼女の視線の先には、従妹たちと談笑する元気なお嬢さんの姿がありました。
「相承」という言葉があります。大本山總持寺が、今年六百五十回忌を迎えた峨山禅師様を慶讃して行われた大遠忌法要のテーマでもありました。
辞書を引くと、弟子が師から、子が親から、学問・技芸・法などを次々に受け継ぐこと、とあります。
ですが相承は受け継ぐだけでなく、子々孫々、未来へ伝えていくこともまた相承といえると思います。
隣席に座った女性にしても、ご両親から相承したたくさんの想いを、お嬢さんを通じて未来に伝えることになるのでしょう。
さて、拙僧の子供たちも受験や就職を控え、難しい歳ごろになりました。今年もいろいろありましたが、来年もまた山あり谷ありの一年になりそうです。
家族と向き合いながら、未来へ「相承」できるどんな言葉や想いと出会えるのか、日々を大事に過ごしたいと思っています。
(合掌の郷だより 平成27年冬号より)
さんぜのまなざし goo別院 1512