さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

20220415 先住忌によせて

2022-04-15 15:58:57 | お坊さんのお話

冷たい雨の降る一日となりました。
つい先日は25度近くの気温になって半袖一枚で過ごせたものの、今日はまるで冬が戻ってきたような寒さです。
小笠原諸島では台風一号が吹き荒れるという、まったく不安定な天候です。
皆さまには体調を崩さないよう、くれぐれもお気を付けください。

 

さて、今日は倫勝寺三世中興、馬場道男の祥月命日、27回忌になります。
早いものです。

亡くなる前日は日曜日。午後の法事が終わった後、鶴見のご本山、總持寺のお手伝いに出かけて行きました。
いつもの作務衣姿に薬やタバコが入った茶色の小さなアタッシュケースを提げ、少し背中を丸めながら声をかけてくれました。

「じゃあ、あとは頼んだよ」

この一言が最期になるとは思いもしませんでした。

あれも聞いておけばよかった、これも教えておいて欲しかったと悔やんでも後の祭り。
とりあえず一年を共に過ごしただけで先代住職が亡くなってしまうとは、思いもしませんでした。
右も左もわからない土地で頼れる人もまだ少なく、とりまく環境のあまりの変化に、このときはかなりまいりました。
今だから言えますが、全部投げ捨てて逃げてしまおうかと思ったことも一再ならずありました。

 

この年、平成8年は先代住職の密葬本葬、慣れぬ土地での新米住職のお仕事、くわえて第1子の誕生と、本当に人生の一大転機となる年でした。
このあたりからですね、一重だったまぶたが二重になったのは。

以前も当ブログに掲載したことがあるかもしれませんが、
少し落ち着いたその年の暮れ、合掌だより(お寺の新聞)に心のうちを文章にして載せていました。
拙い文章ですが、今読み返してみてもそうだなと思うことがあります。
・・・・・・・

平成8年も残りあとわずかとなりました。
今年一年を振り返ってそれぞれの来しかたを反省し、来年に向けていろいろと計画を練ったりする時期になりました。
年賀状を出したり大掃除をしたり、あれこれなにかと気ぜわしい年の暮れですが、
忙しさにかまけて健康を害することの無いよう、お互いに気をつけたいものです。

さて、私が永平寺での修行を終え、その後もう一度修行をするために新潟県のお寺に居候させてもらったことがありました。
田圃に囲まれた田舎の小さなお寺でしたが、その寺のご住職はもと永平寺で修行僧の監督にあたっておられた方で、
押しかけ弟子の私にも親切に指導をしてくださいました。
そのご老師は何かある度に、いつも次のような話しをしてくださいました。

「じっくり、焦らずに、淡々と毎日を過ごしていくのが一番大事なことだよ。
自分に嘘をつかず、周りに流されずに仏の道を黙々と行じていくことを、私たち僧侶はよくよく心得ておかなければいけない。
真実を求めるということを胸に留めてしっかりと歩みを進めて行けば、時節因縁が到来して必ず悟りを開くことができる。
日常の生活をこそ、禅の修行では大事にしなければならないよ。」

今も時折お尋ねして、親しく御指導を仰ぐ事もありますが、
この言葉は私の僧侶としての生きかたの基本とも言うべきものとなっています。

 

先代住職の本葬を目前にした頃、いろいろと思い迷うことが多くありました。
しかし自分の歩んでいく速度と先代の速度は違って当たり前なのだし、
また人間が違うのだから背負えるものと背負えないものが在って当然。
無理せずじっくり、腰を据えて地道にやっていくしかないな、と思うようになったのも長岡の老師のお陰だと思っています。

先日方丈の間の掛け軸を架け替えようと思い、いろいろと探していましたら
当山の本寺、秋田倫勝寺のご住職山田顕一方丈の書かれた掛け軸を見つけました。
内容は「結果自然成(けっかじねんじょう)」。
先代住職がその遺偈「尊因随縁 五十八年 大慈悲中 結果自然」
(※因を尊び縁に随い僧侶として58年 大いなるみほとけの慈悲の中にあって、行の結果は自ずからその通りだ)
にも同じ言葉を使っているので、これもご縁かなと思い早速床の間にかけてみました。

毎朝線香を上げてじっとその書を眺めていると、一つ一つの字の向こうから
「淡々と黙々と精進して行けば、自ずと結果は見えてくるもの。ゆったりとした気持ちで進んでいきなさい。」
と言う声が聞こえてくるようで、なんとなく気が楽になります。

この一年は特にそうでしたが、倫勝寺はまだ当分忙しい日々が続きそうです。
「結果自然成」勢い込んで仕事をして息切れしないよう、長続きするためにじっくりゆっくり、おおらかに毎日をすごしていこうと思います。

・・・・・・
あの日から26年。

先代住職はもちろん、山形の師匠も秋田本寺の方丈様も長岡の老師もすでに亡くなり、
屋根裏に居候させていただいた田んぼに囲まれた本堂は人手に渡り、取り壊されて墓地になってしまいました。

しかし、人やカタチやモノがこの世に無くなっても、ご一緒させていただいた時間はワタシと共にあります。
また、先代住職の結んでくれた多くの方々の法愛によって、何とかここまで努めさせていただいています。
大いなるイノチの働きによって生かされている、今のワタシのこの命。
出会いのご縁を大事に、感謝しながら焦らずじっくり腰を据えて進んでいこうと願う住職であります。

あと20年は何とか頑張りたいな。せめて師匠の歳を超えるまで。
そうすれば何か見えるかもしれません。

今日はここまで。



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