今日2本目のブログになります。
先月下旬、長崎県佐世保沖の離島のお寺にお参りに行ってきました。
メンバーはお坊さんやお寺の奥さん、ある会社の会長さん夫婦、建築会社社長、元関取、という一風変わった団体さん。
今年の初夏、たいへんお世話になったある老師が亡くなられました。
私の結婚式の仲人をして頂いただけでなく、道男住職亡き後は折に触れて僧侶としての道を指し示していただいた方でありました。
住職披露の晋山式でも特に重要な役をお引き受けいただき、師僧として参学させて頂いた方でありました。
山形の父が亡くなった時も、公務でお忙しい中、しかも酷暑の中をはるばる御焼香においでいただいたことは一生忘れられないでしょう。
そのほかにも、親戚筋のことでたいへんなご迷惑おかけしてしまったことや、語りつくせないほど尊い、有難い事柄が沢山あります。
同行したそれぞれに非常に深いつながりを持たせていただいた御老師が亡くなられ、その方の住職していたお寺にお参りに行きました。
羽田から長崎空港まで飛行機で2時間あまり。その後バスで佐世保まで2時間。タクシーに乗り換えて20分。1日3往復しかない小さなフェリーに乗って1時間。ようやく目的の島に着きます。
老師の奥様はじめお寺の身内の方々、島の船長さんご家族、檀信徒の方々が迎えてくれました。
本堂に燭を灯し、皆で読経、焼香します。
不肖が導師を勤めさせていただき、礼拝をさせていただきました。
この場所で老師も礼拝したのだろうと思うと、万感の思いが胸にこみ上げてきます。
心なしか維那の読経の声も震えて聞こえました。
日に3往復だけのフェリーですから、夕方の便に乗らなければ翌日まで帰れません。
ニコニコ笑う老師の写真を前に、島の産物をいただきながら皆で酒を酌み交わします。
あんなこと、こんなこと、杯を重ねるごとに話は尽きません。
島の方々の言葉の端々に、老師への思慕の念が感じられます。
中央でも大活躍なされ、さらにご本山でも重要な役に立たれた老師でありました。
将来は猊下に、との声も多かった方でありました。
しかし、老師が最も好んだ場所は、この島の寺であったということです。
何時間もかけて島に帰り、きっといろんなことを島の人たちと語り合ったり、おこなったりしたのでしょう。
仕事がおわったら島にかえって釣りをするんだ、と、生前よく話しておられました。
翌朝、薄暗いうちから墓参の方々が境内に見えられます。
こんなに早いうちにとおもっていたら、この島では習慣で朝早くにお参りに来るのだとのこと。
木の葉を掃き清めたあと、畑からとってきた花を供え一心にお参りする様子に、とても暖かいものを感じました。
朝御飯を沢山頂戴し、ゆっくりと付近を散策してきました。
寺の境内からは、九十九島(くじゅうくしま)と呼ばれる海上の景勝地が見渡せます。
朝の海に広がる多くの島影が心を落ち着かせてくれます。
昼前のフェリーに乗って島を出ました。
相浦(あいのうら)のフェリー乗り場に着くと、キリスト教のシスターの方々が折り返しの便を待っていました。
その島は隠れキリシタンの島でもあったのだそうです。
福岡空港から乗った飛行機からは、もう島影も見ることは出来ませんでした。
暗い海を眺めながら、素晴らしいご縁を頂いていたのだな、とあらためて感じたことでありました。
お世話いただきました老師の奥様、法嗣の長男さん、家族の方々、島の方々、本当に有難うございました。
お参りをお許しいただき、忘れえぬ参拝となりましたこと、心よりお礼申しあげます。
今日はここまで。