さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

家庭の中の精進料理

2020-04-28 17:30:04 | お坊さんのお話

  家庭の中の精進料理

「心の時代」といわれてだいぶたちます。
一般の人でも修行や坐禅に興味のある方が増えてきて、お寺やその生活がいろいろと紹介されるようになりました。
そしてそれにつれ、精進料理についても関心がもたれてきています。



精進料理というと、以前は修行僧が食べる料理、肉や魚を使わず野菜や海草などで作る料理というイメージがありました。
しかし現在では、京都のお寺や各地の宿坊の精進料理がテレビや雑誌で紹介されたり、料亭でも精進料理の看板を掲げるところが増えたりしたため、
一般の人にも抵抗無く受け入れられるようになりました。
それとともに、これまでの欧米型食生活への反省から健康食としても脚光を浴びるようになってきています。


 
しかし相変わらずお寺やお店で特別な日に食べる料理という感覚は残っているようで、
いわば「よそいきの料理」と考えている人が多いようです。
たしかに胡麻豆腐や飛竜頭、擬製豆腐といった独特の献立が精進料理にはあり、そういうものは簡単に作れないことも事実です。
しかしそれらは特別なもので、修行道場の日常の食事についていえば精進料理といってもごく質素な野菜中心の献立です。



使っている材料や調味料などはどこででも手にはいる物ですし、
また調理方法にしても材料の持ち味を生かすように心がけているだけで、ことさら手を加えることはありません。
ですからそういった意味でいえば、精進料理は家庭でもつくれますし「よそいき」ではない「普段着の料理」ということもできます。



それでは家庭料理と精進料理とではどこに違いがあるのか、という疑問が当然わいてきます。
この違いは材料や調理法にあるのではなく、むしろもっと根本的な面にあるのです。



たとえば材料の取扱いについて考えてみましょう。
道元禅師の御著作に、食事をつくる役の修行僧の心構えを示された「典座教訓(てんぞきょうくん)」という本があります。
その中に、材料の中に仏様を見るといった内容の一節があります。
これは、仏様に接するように材料を大切に扱いなさい、そして、作物が収穫されて料理できる形になるまで
どれだけ多くの人の手がかかっているかを思いなさい、という意味を含んでいます。
つまり尊い労苦をへて目のまえにある材料の命を無駄にしないようにするために、
また、その命をありがたく頂戴する人のために真剣に調理しなさいということです。



このことは当然一般家庭の食事にもあてはまります。
例えば大根の葉や椎茸の足、中途半端に残ってしまった野菜、あるいは冷蔵庫にしまい込んだままになっている材料などを
簡単に捨てたりすることはないでしょうか?



そういったものを美味しくいただけるように工夫することこそが物の命を大事にすることであり、
そしてそれを心がけて初めて家庭料理ではない精進料理ができるのです。
更につけ加えれば、物の命を粗末にしないという心で調理をすれば、
一般の家庭では肉や魚などの材料にとらわれることなくそれを精進料理と呼んでも差し支えないのです。
家庭のなかでの精進料理というのは、台所をまかされた人の精進や工夫のなかにこそあるものなのです。



最初に述べたように、修行道場で坐禅したり、お寺に興味を持ったりする人がふえてきている今日ですが、
そういった特別の場所でなければ修行もできず精進料理も食べられないと思っている人は多いようです。
しかし台所仕事をただの調理とせずに、修行する者として心を配るということが最も大切なのです。
つくる人の心を豊かにし、また食べる家族の気持ちを明るくするのもそうした心からでてくると言えるでしょう。
これこそが本当の精進料理なのです。         

・・・・・・・・・

住職は昭和から平成に替わる5年半余りを、永平寺の東京別院というところで修行させてもらいました。

場所は港区西麻布。六本木と南青山のちょうど真ん中あたりです。
フジフィルム本社ビルの裏手にある大きなお寺。

時期はちょうどバブルの真っ盛り。
走ってる車のほとんどがベンツやBMWやジャガーやら・・高級車ばかりでした。
田舎者の住職は目を疑いましたね・・・

さて、別院という名が示す通り、本山に準じた修行道場です。
住職はここでずっと台所の責任者として修行させてもらいました。

20代後半から30代最初のころまでの血気盛んな生意気盛り、修行とはいえよく置いて頂けたものだと感謝しております。
独りよがりでお山の大将のバカ坊主でありました・・・沢山の方々に助けられ、支えられての修行の日々であったことに気づくのは後年のことであります。
本当にただのバカでしたね、今さらながらに反省する住職であります。

さてそんなある日、別院の広報誌「別院だより」に載せるから一文書きなさい、と上役の方に命ぜられて書いたのが上記の文章です。
あれこれ資料をひっくり返し、呻吟して産み出した文章。
拙い内容ですが、思い出深い一文でもあります。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

今日はここまで。

     



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