さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

盂蘭盆大施食会がおこなわれました

2010-07-27 09:25:42 | 倫勝寺の行事報告

7月25日に毎年夏の恒例法要「盂蘭盆・大施食会」が行われました。

午前11時から合掌の郷永代供養墓「さんぜ」の合同供養(下写真)、午後1時からは山形県宿用院住職・三部義道老師の法話、そして2時半から大施食会の法要です。





三部老師から法話を頂くのは、平成17年、5年前の施食以来となりました。
昨年11月に亡くなったお師匠さまを、2年半あまり介護した経験から得られたお話しを頂きました。



若いころから反発し疎遠になっていた父親がパーキンソン病になり、次第に弱っていく。
そんな父親を介護せざるを得ない状況になり、下の世話をしたりお風呂に入れたりすることになりました。
そんな中で老師の父親への思いが変化していくさまを話されたのですが、参詣の方々もそれぞれ自分の経験に引き当てて聞いている様子がうかがえました。



亡き方への思いがこみ上げてきたのでしょうか、中には目頭を押さえて聞いておる方もおられました。

三部老師は、介護する父親の部屋に友人から聞いた次のような内容の言葉を書いて貼り付けておいたのだそうです。
介護をすることは、「徳を積むための修行の場を、仏様から与えていただいている」のだ、と。
意思がうまく通じない師匠からは、充分に徳を積め、私の身体をつかって、さあ徳を積むのだ、と言われているようにも感じたとのことでした。

しかし、僧の身をしても実際にはなかなかこの言葉通りにはいかないもの。
仕事が重なって疲れていたり、思うように意思が通じないときなどは思わず支える手に不要な力が入ってしまったり、
言葉づかいが荒くなってしまったり・・・徳を積んだとはとても・・と、慙愧の思いを交えながらのお話でした。

私の実家の師父も平成18年に亡くなりましたが、山形と横浜の距離や仕事の関係もあって実際の看病や介護は、母親や嫁に行った妹に任せきりになりました。
師父はこの20年近くも病気やけがで入退院を繰り返し、さらにこの10数年は若干のアルコールの害もありました。
私はといえば大学から永平寺修行の頃はもちろん、その後20代後半から横浜に縁づくまで、修行と言えば聞こえはいいのですが、
ご飯を食べるために新潟や東京、日本のあちこちをふらふらしていて家にはあまり寄り付きませんでしたので、母親は特に苦労をしたと思います。
特に父の晩年の頃は、父が逝くか、看病疲れの母が先に逝くか、とも思われたほどでした。

亡くなる前の最期の数日間、病院に泊まり込みはしたものの、つききりで長期間にわたって介護したという経験はありません。
ですから三部老師の話を聞きながら、介護された老師を尊敬するとともに
すこし羨ましくも思えたことでした。

この8月1日で、師父が亡くなって4年になります。
今もこの時期になると、おかれた状況をもどかしく感じたり、父母や妹、横浜の家族に対して申し訳なく思ったり、
さらには、さかのぼって横浜に来た自分の選んだ道が正しかったのかどうかを煩悶した当時のことを想い出します。

山形の師父も平成8年に亡くなった横浜の父も、私よりはるかに深い心でこちらを見てくれているのでしょうから、
こんな事を考えているようではまだまだ尻が青い、と言われそうですが・・。

「目を閉じて想像してみてください・・・あなたに残された時間は、もう残り少なくなっています。あなたの傍らにいる家族や大事な方にかける最期の言葉は、なんでしょうか・・・」

三部老師の話を聞いて、亡き父や先祖に借金したものは、縁のある人に返していくことしかできないんだなあ、という思いをし、
そして、一期一会、もしかしたらもう会えないかもしれないあなた、そして自分自身との一瞬一瞬を大事にすることの尊さ、難しさ、素晴らしさを改めて考えた素晴らしい法話でした。

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「貧しい農家の子だった父が出家し、さまざまに苦労して僧侶を続けてきたのは何故だろうか、と師匠の死後ずっと考えてきたのだけれど、
もしかしたらこの私を僧侶にするために父は難
儀しながらも住職を続けてくれていたのではないかと最近ふと思ったりもするのだよ・・。」

丈室でお茶を飲みながら話してくださったことが印象的でした。

三部老師、ありがとうございました、ゆっくり歓談できればよかったのですが、残念でした。
山形に戻った折に、またご連絡申し上げます。


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引き写しで申し訳ないのですが、三部老師からお許しを頂きましたので、老師のブログ「なあむ」から3編ほど掲載させていただきます。
本編は右のリンク先からどうぞ。

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11月6日、師匠が遷化しました。曹洞宗では、住職の逝去を遷化(せんげ)と言います。今日は密葬と荼毘(火葬)でした。

会話ができなくなってからは数年経ち、2ヶ月前に入院してからはほとんど眠った状態でしたので、いつかはこの日が来ると覚悟はしていましたが、
やはり肉体が消えるというのは寂しいですね。

父は、3歳を前にして父親を亡くしてから、苦労の少年時代を余儀なくされました。

縁あって10歳で寺に入り、住職として50年以上務めてきました。後半生はたくさんの皆様との出会いのお陰で穏やかな人生を送ることができたと思います。

姉と私の姉弟が子どもの頃、生意気なことやわがままなことを言うと、「明日死んでみせる」と言うのが酒を飲んだときの口癖でした。

「お前たちは、親のいない苦しみを知らないからそんなわがままなことを言えるんだ」と言いたかったのだと思います。

言葉に反して、80歳まで生きてくれたことは、子どもにとっては大変ありがたいことでした。そのために、子どもは未だにわがままのままかもしれません。

本葬は初七日に当たる12日に執り行います。

ようやく親を失った人々の寂しさが分かる仲間入りができます。

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近ごろ父親のことが頭に浮かびます。

中学から大学に入る頃までは、父親が嫌いで敵でしかありませんでした。

親元から離れ、成人して、自分が少しずつ大人になっていくにしたがい、父親の弱さやら、悩みやらが少しずつ理解できるようになり、許せるというか、いとおしくも感じられるように

なった気がします。

それでも顔を見れば、素直に口がきけるような状態までには至らず、長い時間、距離を置いた関係が続きました。

最近ふと感じるのは、父親という存在を自分との関係において見るのと、父親その人の人生として見るのとの違いについてです。

若いころは、自分にとっての関係でしか父親を見ることができず、性格が合わない、価値観が違う、言い方が気にくわない、
などという、うっとうしい存在にしか感じられませんでした。

それが、年齢を重ねる毎に、「義照(幼名千代亀)」という人の人生として父親を見られるようになってきたような気がするのです。

年を経る毎に、前者から後者へ、その割合が多くなっていって、亡くなって、完全に一人の人生として対峙することができるようになったように思います。

今では、嫌いだったという感情すらもどこかへ消え失せてしまって、父親の人生を考えることができます。

本人は自分の人生をどう思っていたのだろう。生まれた価値を自覚できたのだろうか。総合して、幸せな人生だったと感じていたのだろうか。

身近な家族のことも、客観視することで、冷静に立ち向かうことができるように思います。

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今日法事のお経を読んでいて、唐突に一つの妄想が浮かんできました。

「あっ!」と言ったきり、突然に言語を失ってしまったらどうなるだろう。

お経も読めなくなるから仕事ができなくなる、話もできない。家族との会話もできない。言語そのものを失った場合は、字も書けなくなるのではないだろうか。

パソコンで文字を打つこともできない。筆談もできない。字を読むこともできなくなるだろうか。

そうなってしまったら、いったい周囲の人々とどうやってコミュニケーションをとるのだろうか。自分が伝えたいこと、してもらいたいこと、胸の中に湧き上がってくるとめどない「思

い」はどのように処理すればいいのだろうか。胸が張り裂けそうな焦りと、頭が爆発するような苛立ちで、気が狂いそうになるのではないだろうか。

精神安定剤を処方されて、ドンヨリした意識で、欲求さえも抑え込まれてしまうのでしょうか。

そう考えると、人間が言語をもっているということはすごいことなんだなと考えさせられました。

実は、今思えば、父親の症状がそのようなことだったのだと思います。

父親の場合は、パーキンソン症候群の症状で、次第に言語が失われていったのですが、当初、字は読めるのだろうと思い、50音表を作ってそれを指さすように提案してみましたが、結局一度も使うことはありませんでした。
おそらく読むことさえできなかったのだろうと思います。

何か言いたそうにしている時、こちらから「こうか?、ああか?」と聞いてみて、ぴったり合っていた時のホッとした喜びの表情を思い出してみると、伝えたい思いはたくさんあったのでしょう。

逆に、それが何度も何度も自分の思いと違った時は「バカ!」と起こってしまって席を外していました。
「バカだけははっきり言えるんだね」と笑っていましたが、本人はどれほどつらかったのだろうかと思います。

胸にある思いをこうして伝えられることの幸せを思います。

 


今日はここまで。

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今日のおまけ

出入りのお料理屋さんが「マッチ箱あります?」というのでお渡ししたところ、しばらくたって「はい、開けて見て」と先ほどの箱を返してくれました。

あれ、様子がちょっとヘン・・・・・?



開けて見ると・・・



おお、凄い!職人わざ!



中味は赤身、中トロ、あなごと胡瓜とまぐろの巻物、あなご、あおりイカ、甘エビのお寿司。

さすが、です。お見事、モトキさん!






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