
(第7回より続く)
(二十一 三つの心構え)
(その一 喜心)
そもそも、禅寺の役職である知事や頭首など諸職の当番になり、それぞれの務めをするときは、喜心、老心、大心の三つの心構え保ち続けて事にあたらねばならない。
いわゆる喜心とは、心からの喜びをもって諸事に当たることである。
もし私が、楽しいことばかりで苦しみの無い天上界に生まれていれば、楽しいことだけに執着して他のことを顧みる閑など無いであろうし、
そのような世界では、道を求める心を起こすことも無く、修行をするにも都合がよいはずがない。
まして仏法僧の三宝に供養するための食事を作るなどということは思いもしないであろう。
この世界のすべての存在の中で、最も尊いものは仏法僧の三宝である。最も優れて他に勝っているものも三宝である。
天上界三十三天の中で最も優れていると言われる帝釈天でさえ喩えにならないし、この世界の理想の王である転輪聖王も比べ物にならない。
「禅苑清規」には「この世で最も尊く、世俗を超越してゆったりしていて、この上なく清らかで自然のまま計らいの無いものは、僧侶である」と説かれている。
今、私は幸いに人の世に生まれ、しかもこの三宝に供養する食事を作らせて頂いている。何という素晴らしい大因縁であろうか。心から喜ぶべきことであるのも、自ずと頷けるところである。
また考えて見るがよい、もし私が地獄、餓鬼、畜生、修羅等の人間世界以外の悪道世界に生を享けたり、
仏を見る事が出来ず、正しい教えを聞くこともできない八種の境涯に生まれたりしたならば、
僧の修行の力で私の身を覆い守ってもらおうと願っても、自分から三宝供養の清らかな食事を作って差し上げる事は出来ないということを。
かの世界では肉体的なことで苦しみをうけ、身も心もがんじがらめになっているからである。
今の自分はすでに人間界に生まれ、三宝供養の食事を作らせて頂いている、これはまことに悦ぶべき生であり、悦ぶべき身の上である。
これこそ、無限の長時間にわたっての良縁であり、朽ちる事のない大功徳である。
どうか千生万生と続くこの身を以て一日、一時、一瞬に心をこめ、典座として三宝供養の食事を調え作ってもらいたい。
それは、永遠に続くこの身を素晴らしい縁に結ばせたいがためである。
このように深い道理を見抜いて物事にあたる心、これが喜心である。
たとえ天輪聖王の身に生まれたとしても、三宝供養の食事を作ることが無ければ、結局何も役に立たない。
それはまさに、水の泡や陽炎のようにただ儚い身の上なのである。
(その二 老心)
ここで言うところの老心とは、父母の心である。
親が常にその子供のことを心にかけて忘れる事がないように、典座が仏法僧の三宝に供養の食事を作るときは、あたかも子を思う親のようにすべきである。
どんなに貧しい者や困窮している者でも、親は我が身を省みずに愛情をこめて子供育て上げるものである。
その心の働きはいったいどのようなものであろうか。
他人にはわからないが、父となり母となって初めてその心を知ることが出来る。
自分が貧しいとか豊かであるとかにかかわらず、ただ子供が大きく育つことだけを思いつづける。
自分が寒いことや暑いことも忘れて、子供のために日陰を作り、また寒さから守ろうとする。
思うに、これこそが親が子を思う、この上もなく深い心である。
このような親の心を起こす人こそが老心をよく理解し、常に子を思うような心で日々を送る人にしてはじめて、この老心を悟ることが出来るのである。
こういうわけであるから、典座が水加減を看るときも、穀物の状態を看たりするときもみな、子を養う時のような懇ろな慈しみの気持ちを忘れてはならないのである。
釈尊は百歳の寿命を八十歳にして、残りの二十年を末世に生きる私達法孫に分け施してくれた。
釈尊のこの心は如何なるものであろうか。
それはほかでもない、父母の心を私たちに垂れて下さったのである。釈迦如来はこれによって何か果報を求めたのでもなく、富を求めたのでもなかった。
(その三 大心)
いわゆる大心とは、その心を大山のようにどっしりとさせ、大海のように深く広々とさせて、偏ったり、えこひいきしたりすることの無い心である。
たとえ一両(37.3グラム・宋代)ほどの軽いものでも軽々しく提げて扱うこと無く、
一鈞(17.9キログラム・宋代)という重い物を棒に通して担ぎあげたとしても、特別おおげさに重々しく扱ったりしない。
うららかな春の陽気に誘われても、春の野に浮かれ遊ぶことはせず、秋の色が深まるのを見ても、殊更にもの寂しい心を起こすことも無い。
春夏秋冬の四季の移りかわりをひとつの景色とのみとらえ、銖(0.67グラム・宋代)も両などの軽い物ものも他と差別せず同じにみるのである。
このように、周囲の移りかわりに惑わされたり心惹かれたりすることのないところで、大の字を書き、大の字を知り、大の字を学ぶべきなのである。
夾山善会禅師(かつさんぜんね)の修行道場で典座を務めていた和尚が、もしこの大の字を学んでいなかったら、
思わず洩らした笑いによって太原孚上座を悟りに導くことは無かったであろう。
また潙山霊祐禅師も大の字を書き学ぶことが無ければ、百丈禅師のもとで典座をしていたとき、
一本の枯れ枝を取ってこれをフーフーと三度吹き、「火を持ってきました」と答えるような鋭い禅機を現すことは出来なかったであろう。
洞山守初禅師も大の字を知りつくしていたからこそ、「仏とは何か」という僧の問いに答えて「これは三斤の麻だ」と手に持った麻を指し示すことが出来たのである。
よくよく知っておかねばならない。大善知識と呼ばれた優れた禅の指導者の方々はみな、
あらゆる物事の上に大というありかたを学び、今も自由自在に大の声を発し、大の本義を説き、禅の根本である大の事を明らかにし、
大となる人を指導説得して、この仏道の一大事因縁を極め尽くしているのである。
修行道場の住持、知事、頭首、修行僧、いったい誰がこの三種の心構えを忘れてよいことがあろうか。
時に嘉禎三(西暦一二三七)年の春 これを書き記してこれから仏道を歩まんと志す者達に示した。
観音導利興聖寶林禅寺住持 正伝の仏法を伝えた沙門道元 記す
(典座教訓 私訳 了)
今日はここまで。