高祖光伴太祖大師特為献湯諷経(こうそこうばん たいそだいし どくいけんとうふぎん)
(高祖道元禅師様に御降臨いただき、太祖瑩山禅師様に蜜湯を捧げる祥月の前晩法要)
一、三会上殿(さんえじょうでん)
千畳敷きの大祖堂に、法要準備が整ったことを知らせる鐘が響きます。
案内の雲水さんや先導の老僧に導かれて、ゆっくりと大祖堂への廊下を上殿してゆきます。
気を引き締めないといけないと思いつつも、なんだか無性にうれしく、どうしても顔がニコニコしてしまいます。
周囲の方には、きっとヘラヘラしているように見えたかもしれません。
たくさんの檀信徒さんの前を通りすぎ、赤いスリッパを脱いで、大祖堂の中央に進んでいきます。
大間のど真ん中にある一畳の拝敷(はいしき)に上がり、須弥檀上の太祖さまに向かって合掌、低頭します。
一、上香 普同三拝(ふどうさんぱい)
挨拶が終わって拝敷きを降り、進前してお焼香します。
20数年前、倫勝寺の落慶法要のために先代住職が購入したという伽羅香を焚きます。
「先代さんの分もたっぷり焚いてちょうだい」という大寺族さんのご要望(おお、太っ腹!)にお応えして、贅沢にたっぷりお焼香。
そして皆さんと一緒に三度の礼拝(五体投地)。
一、大悲真読(だいひしんどく)
礼拝のあともう一度進前。
お焼香して拝敷に戻ると、今回の法要で一番の懸案だった「大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)」の「真読」が始まります。
「なぁ~むぅ~かぁ~らぁ~たぁ~~~ん~のぉ~~~、とぉ~らぁ~やぁ~やぁ~♪」
法事の時に読む「大悲心陀羅尼」のスピードとは大違い。
ものすごくゆっくりと、しかも節をつけて読むその読み方は、永平寺僧堂で修行した住職には全くの初体験。
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「峨山越えとは、峨山禅師が、総持寺と羽咋の永光寺の住職を兼務していたときに、両方の朝の行事を勤めるために、60キロもの山道を往復したという伝説です。
当時すでに65才という高齢ながら、峨山禅師は夜中に永光寺で朝のお勤めを済ませて1時頃に出発し、それから60キロを歩いて朝8時過ぎに総持寺に駆け付けたと云われます。
そのため、総持寺では大悲呪というお経をゆっくり読んで峨山禅師が到着されるのを待ち、到着と同時に普通の速さに戻す、という独特な読み方を行っていました。
この独特な読み方を「真読」といい、現在でも総持寺において毎朝行われている読み方です。」
(太平山龍泉寺さまのホームページより)
※峨山越えについては、下のリンク先に写真入りで詳しく紹介されています。ご参照下さい。
http://o-hanamaru.seesaa.net/article/147083814.html
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教区のT昌院K師から音源をいただき、一日中聞きっぱなし。さながらスピードラーニング。
ヘッドフォンで聞きながら、倫勝寺の本堂を大祖堂に見立てて進退の練習を重ねること一週間。
本番では読経中のゆっくりした足さばきが少し早くなり、香台の前で「待ち」が入ってしまいましたが、そのあとは三拝のタイミングも間違えることなく、失敗せずに行うことができました。これでほっと一安心。
一、光伴回向(こうばんえこう)
「光伴・・法要・法儀の時に、相伴として列すること。光臨していただくこと。或いはその人を指す。両祖の降誕会などの法要で行われる。」
(つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉より)
太祖瑩山禅師さまの法要のために、高祖道元禅師さまに御降臨をいただきそのご供養をさせていただくこと、と解釈したらよいでしょうか。
回向のおことばの最中に礼拝をし、報恩の誠を捧げます。
おわって坐具(お袈裟とおそろいの敷物)を収めて、高祖様へのご法要がおわります。
一、鼓一通(くいっつう)
続いて、太祖瑩山禅師さまへの蜜湯を捧げる法要に続きます。
大太鼓が鳴らされ、法要の始まりが告げられます。
一、上香三拝(じょうこうさんぱい)
一、献供三拝(けんぐさんぱい)
そのあと更に進前して、今度はおおきな高付の湯のみに入った甘い蜜湯(砂糖湯)を瑩山禅師様にお供えする儀式を行います。
焼香の後、お供えする湯呑に自分の息がかからないよう、小さな懐紙を咥えます。西側から出てくる湯呑を恭しく受け取り、お香に薫じ捧げたあと、東側にいる侍者に送り渡します。
懐紙を袂に入れて、如意(にょい・・孫の手のような形の法具)を持って合掌し、湯呑がお供えされるタイミングを見計らって問訊(もんじん‥軽く頭を下げること)して拝敷に戻り、「どうぞお召し上がりください」と三度礼拝します。
(湯呑を渡して焼香し、合掌して須弥段の奥を見ていると、あまりの荘厳さ、美しさに見とれてしまいました。
「早くこっちへおいで」と言われているような感じでうっとりしていると、侍者さんが「三拝です」と小声で諭してくれました。 汗!)
一、中揖三拝(ちゅういつさんぱい)
「お茶の湯加減はいかがでしょうか、再進(さいしん・おかわりのこと)はいかがですか」の意味で拝敷と香台の間まで行って問訊し、戻って三拝します。
中間まで行って帰ってくるのは、お祖師様の「御馳走さま、もう充分ですよ」との声なき声を受けて、「左様ですか、承知しました」という意味があるからです。
ですから戻っての三拝は「お粗末さまでした」という意味の三拝になります。
ちなみに、侍者、侍香さんがこの三拝まで内陣付近や香台脇で待っているのは、おかわりを所望されたときに対処できるよう準備しているわけですね。
石や木にお茶を捧げているのではなく、あくまで生身のお祖師様にお供えしているという考えだからこそ、このような法式があるのです、ありがたいことです。
さて、この法要は、けっこう五体投地が多いのです。
法衣の中に着る白衣や肌着はすこし薄いものを持参したのですが、それでもこの頃にはかなり汗をかいていました。
一、法鼓三打(ほっくさんだ) 拈香法語(ねんこうほうご)
坐具を収めると、お供えの儀式が終わったことを告げる太鼓が三回打ち鳴らされます。
線香をいただいて心を込めたあと、持参した法語を読み上げて、今の境涯、自分の気持ちを瑩山禅師様にお伝えします。
香語のお唱えが終わると、大鏧子(だいけいす・・おおがね)が鳴らされ、進前してお焼香をします。
一、妙法蓮華経如来寿量品(みょうほうれんげきょうにょらいじゅりょうほん) 御真殿拝登(ごしんでんはいとう)
お経に合わせ、100人以上の僧侶と一緒に本堂内を、行列をつくってぐるぐる回ります。これを遶行(にょうぎょう)といいます。
遶行の最中、師匠や先代住職のことがふと心に浮かびました。
平成8年4月、前日まで元気でいた先代が大祖堂地下の瑞応殿で急逝し、そのあとを継いだ拙僧を心配していた山形の師匠も平成18年に亡くなりました。
来年はそれぞれ17回忌と7回忌です。
二人してどこかで見てくれているだろうか、もう少し長生きだったら、と思うと、歩をすすめながら目頭が熱くなってしまいました。
不意に気づきました。
ご本山で焼香師を勤めさせていただいているのは、自分ではなく、二人の師匠なのだと。
右に行ったり左に行ったりのぐるぐる行列をして自分の元の位置に戻ると、今度は須弥段の上に登って御真牌(ごしんぱい・・瑩山禅師様のお位牌)前での御焼香があります。これを御真殿拝登といいます。
最初に須弥段西の階段下で膝をついて手を洗ったら、係の方の先導に従い横向きになって階段を上ります。
御上檀の奥中央にある御真牌に、袂に入れておいた二つ目の香合を出して焼香し、三方に載せた嚫金(しんきん・・ご開山様への香華料のようなもの)を香に薫じます。
御真牌の前での三拝が終ったら、また係の方に導かれて階段を下り、大間中央の拝敷にもどって三拝します。
お経の途中、タイミングを見計らって、進前してお焼香。
一、回向 普同三拝 退堂
瑩山禅師様の徳をたたえる回向文を拝聴しながら一拝。そして更にもう一度進前して最後の焼香、戻ってみなさんと一緒に三度の礼拝。
坐具を納めて、御随喜して下さった方々に御礼の問訊をして、焼香師の御勤めは無事終了になりました。
引続き 總諷経(そうふぎん)
總諷経は、御参加いただいた倫勝寺、昌龍寺檀信徒皆さんの御先祖様の供養です。
今回は特別に江川禅師様にご導師をお願いし、回向していただきました。
御先祖様を追善する法語をお唱えいただいた後、修証義を読誦し、ぐるぐる回りの遶行を行います。
遶行のあとは、参加された皆さんのお焼香。参詣の人数が多かったので、修証義も三章まで読誦していただきました。
總諷経が終わって禅師様からお言葉をいただき、法要はすべて終了。
そのあと、禅師様にも加わって頂き大祖堂前で記念撮影(上の写真は身内だけで撮った写真です)。
さらに場所を三松閣大講堂にうつして、お祝のお膳をいただきます。
ご本山監院・乙川老師に御言葉をいただき、倫勝寺北尾、昌龍寺松川各総代の祝辞、拙僧のお礼の挨拶、大法友の三原老師に発声をいただき乾杯。
マツタケご飯や黒ゴマ豆腐、こぶだしの利いたお吸い物、さまざまな精進の品々が並んだ二の膳付きの祝膳に、皆さん大満足でした。
※お膳の写真は典座の大先輩「楊林寺」西村老師の下記ブログをご参照ください
http://yorinji.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/10/post_0ba4.html
あれだけたくさんの御膳をつくって頂いた典座寮の方々、そして展待係の知客寮の皆さま、本当にありがとうございました。
あのあとの洗いものも、きっと大変だったろうなあ・・
いつもは御膳を作る側にいるのですが、頂戴する側になってわかることもたくさんあり、ここでもまた勉強させて頂きました。
知客和尚さんの御開きのあいさつで、当日の行事はすべて終了。
当初の予定よりも少し遅れて、午後5時半の解散となりました。
当日もご挨拶のなかでお話させていただきましたが、23年前に東京から横浜へ倫勝寺を移転する決断を下した先代住職、檀家も無いちいさな田舎寺で托鉢や農協職員をしながら大学、本山まで行かせてくれた師匠。
二人の苦労を思うと、本当に頭が下がります。
受け継いだものをどのように次代へ渡していくか、また檀信徒の方々へお伝えできるかをさらに参究して行かなければと思います。
ここで慢心していてはいかんぞ、立ち止まってはいかんぞ、と、叱咤激励の声が聞こえてくるような感じがしました。
今回の焼香師行事に関しては文中にも触れましたが、本当に多くの方々の支えがあって圓成できました。
康樹さん、法弘さん、俊明さん、明彦さん、第5教区、神奈川県東部嶽山会、総和会のみなさま、法友のみなさん、ご本山諸役のみなさま、ありがとうございました。
わざわざ宝塚から駆け付けてくださった西村老師、積年のご法愛心より感謝申し上げます。
総代の北尾会長はじめ、役員様方、檀信徒の皆さん、鳳友産業さんや協力してくださった業者の方々にもいろいろとご心配いただきました。
ひとりひとりお名前を挙げることはできませんが、御縁の皆様には本当に感謝申し上げます。
特に横浜、山形の家族にはいろいろとご無理をいただきました。ありがとうございました。
ご本山が能登から移転して百年という記念の年に、このような大役を頂戴出来ましたこと、巡り合わせとはいえ、み佛の縁の尊さ、有難さをあらためて身に沁みて感じている次第です。
永平寺・道元禅師様、總持寺・瑩山禅師様、さらに倫勝寺、昌龍寺、佛性寺それぞれの歴代住職の重き御恩に報いることは万分の一もかないませんが、これからも初心を忘れず精進を続けゆく所存ですので、御指導のほどよろしくお願い申し上げます。
御征忌焼香師の御報告はここまで。
※差定進退等に不備や間違いがありましたら、コメントいただければ幸いです。訂正させていただきます。