毎年11月12日は、保田の昌龍寺で十夜法要が行われます。
例年通り、昨日も弟子と一緒に保田へ行って、寺役員の方や檀信徒の方々と法要を行ってきました。
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十夜法要とは?
十夜法要は、毎年秋に行われる伝統的な仏教の法会(ほうえ/仏法を説く、または供養を行うための僧侶・檀信徒の集まり)のことで、
阿弥陀如来に対し感謝の念仏を唱えるものです。
「十夜」とは「十日十夜」を略したもので、もともとは旧暦の10月5日の夜から15日の朝までの10日間、昼夜を通して絶えず念仏を唱える法要でした。
正確には「十日十夜別時念仏会」と言い、「お十夜」「十夜講」「十夜念仏」などとも呼ばれます。
現在では、10月から11月にかけて、1日〜数日間といったように、日数を短くして勤める寺院が多いようです。
また、基本的には浄土宗の行事ではありますが、天台宗や時宗など他の宗派でも一部行われています。
十夜法要の「十夜」の由来
浄土宗が拠りどころとする浄土三部経というお経の一つ『無量寿経(むりょうじゅきょう)』には、
「善を修すること十日十夜なれば、他方諸仏国土において善をなすこと千歳ならんに勝る」という一説があります。
「煩悩(ぼんのう)や苦しみの多いこの世界で十日十夜の間、善い行い(善行)を修めることは、迷いのない仏の世界で千年にわたって善行に励むよりもすぐれている」というような意味です。
浄土宗にとって最も功徳をいただける善行とは、すなわち「南無阿弥陀仏」とお念仏をとなえること。
これが「十日十夜に渡って念仏を唱える」ことの由来となっています。
十夜法要はいつから始まった?
浄土宗における十夜法要の歴史は約550年前まで遡ります。
時は足利義教が第6代将軍を勤めていた室町時代。
政所執事(現在でいう行政長官)であった伊勢守貞経の弟・平貞国は、出家することを念頭に、真如堂にて三日三晩籠って念仏を唱えようとしていました。
しかし、夢に現れた高僧の「おまえが私を信じるなら、来世には必ず救われる。今の世の事は3日待て」という言葉に、出家を思いとどまります。
すると、時を同じくして、兄・伊勢神貞経は隠居を命じられ、吉野に謹慎することが決まります。
その跡を継ぐのは貞国です。もし高僧のお告げがなく、自分が出家していたら、兄の跡を継ぐどころか家が絶えてしまうところだった…
夢のお告げに感謝した貞国は、再び真如堂に籠り、七日七晩の行をあらためておこないました。
合計、十日十夜、念仏を唱えた貞国のエピソードが、十夜法要の由来となっています。
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以上、「お墓きわめびとの会」から転載させていただきました、ありがとうございます。
曹洞宗ではあまり行われないのかもしれませんが、この時期、保田地区ではいろんな宗派の寺で十夜法要が営まれているようです。
この一年間に亡くなられた方々を偲んでの法要ですので、おひとりで何霊も供養するという方もおられます。
〇月は知り合いのAさんが亡くなったし、その翌月はご近所のBさんが逝ってしまったから、今年の十夜は〇寺と△寺のお十夜に参加してお二人の供養しなきゃ、
という感じです。
ですので、供養のお布施が負担にならないよう、一霊につき500円ほどのお布施になっているようです。
東京で行われた保田出身の友人の葬儀に出られなかった方が、十夜法要の供養に参加することで自分の気持ちに一区切りつける、ということもあります。
お盆やお彼岸とは違う地元に根付いたご供養のあり方に、仏教の与える安心の幅広さを感じた次第です。
ついでながら昌龍寺住職が関係している保田の観音寺も、檀家の無い寺ですが十夜法要を行っております。
こちらは地区民全体の家内安全や諸災消除、ご先祖様の供養という法要になっています。
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昌竜寺の十夜法要の日は、不思議なことに晴れの日が多いのです。
今年も綺麗に晴れました。
高台にある本堂から眺める東京湾に沈む夕陽の美しさは絶品です。
ちょうどこの時期の大陽が沈む先には、天城山。
伊豆半島があるのです。
写真ではわかりづらいのですが、今年も天城の山頂に太陽が沈んでいきました。
なんかありがたい感じ。
横浜では、少しずつですが赤の山茶花が咲き始めました。
紅葉も終盤です。
今日はここまで。