みちのく晋山の旅第3回は住職の実家、山形県河北町佛性寺の本寺(お寺の本家)にあたる永昌寺さまです。
永昌寺さまの第8世求法宅随大和尚様が佛性寺の御開山です。
宅随大和尚が引退し、隠居所として小さな庵を建てたのが佛性庵。
江戸時代でしょうね。
ちなみに佛性寺のご本尊様は阿弥陀様。
隣の寒河江市の浄土宗のお寺さまからおいでになられたご本尊さまです。
御開山のあと、二代目の義山泰源大和尚は大正末から昭和の方です。
あいだが大分空いてしまいます。
江戸の末頃に佛山智明尼という庵主さまがおられ、このかたが永平寺から佛性庵中興の号をいただいています。
智明さんのお弟子に孝安貞順尼さまもおられます。
私で6代目の住職になるのですが、上記のように佛性庵には歴代住職に名を留めないお坊さんや尼僧さまがお住まいになっておられたのかもしれません。
さて、そんな佛性寺の本家が永昌寺さま。
今回は新住職の新任式と前住職の引退式が行われました。
前住職は退任にあたって鐘楼堂を新築され、その撞初式も行われました。
鐘は戦後に戦災や戦地で亡くなった方の供養のために鋳造されたもので、
子供の頃はよく撞かせてもらいました。
立派な本堂、そして鐘楼堂。
山形ではポピュラーですが、客殿を兼ねた鉄筋総二階建ての大きな位牌堂もあります。
前庭を囲むように庫裡や東堂寮が建ち並ぶさまは立派ななものです。
本堂裏にはこれまた立派な庭園があり、子供の頃よく忍び込んでは住職に怒られました。
庭園の一角に堆肥置き場があり、そこでカブトムシの幼虫が採れたのですね。
また夏の定番行事、肝試しも永昌寺さまの墓地が会場でした。
そうそう、肝試しの時期ではありませんでしたが、一度だけ、ひとだまを見たことがあります。
あれは6月頃の夕暮れ、小学校低学年だった私は本寺さまの庫裡裏の田んぼ道を近所のお兄さんたちと歩いてたのです。
他愛のない話をしながら家へ帰る途中でしょうか、本堂裏手から青白い火の玉がユラユラふわふわ現れて、
ゆっくり本堂の大屋根の方にのぼっていきます。
唖然としてみていると、スッと消えてしまいました。
怖いのと驚きとで興奮して、一目散にあぜ道を駆けて家に戻りました。
火の玉見た―!と言ったら父親が難しい顔をしながら「それはヒトダマだ」と教えてくれました。
さて、ひとだまの話はさておき、本寺さまの晋山法要はさきの二ヵ寺と同じように、厳粛に行われました。
山形の晋山式では、前晩の行事に「万灯供養」という法要を行うことが多くあります。
前回の清龍寺さまでも檀家各家の先祖代々ご供養に万灯供養が行われました。
本堂を蝋燭の灯りで満たし、揺らぐ炎の中で行われるとても幻想的な法要です。
住職も平成10年の倫勝寺晋山式の時に、山形から知り合いのお坊さんを招いて万灯供養法要を行いました。
もう25年も前のことですが、覚えている人もおられるかも知れません。
明るいうちに準備を整え、入念に打合せを行います。
たくさんのロウソクを灯すと、そこは貧者の一灯の物語の舞台。
ゆっくり打たれる太鼓のリズム、それに合わせてそろりと歩を進める僧侶の進退。
動画はこちらから 住職のフェイスブックにいきます
法華経の一節を経木で出来た小さな塔婆に書き写して、ご先祖様方へのご供養とします。
今は筆ペンだけど、以前は墨硯と筆で書いてたなあ。
片付けの時に墨をこぼさまないように、暗がりで転ばないように、と先輩方に注意されてました。
久しぶりに参加した故郷の万灯供養。
何とも言えないありがたい法要です。
さて、その夜は雨が降って翌日の次第が心配されましたが、万灯のご供養が効いたのか、当日は良い方に天気予報が外れてくれました。
私は新住職をお寺にお迎えするという役でしたので、晋山行列の先頭を歩くことに。
そんなことで、法要の写真を撮ることがかないませんでした。
天気も良くて、無事に晋山式終了。
良かった。
この10月は久しぶりにお会いした旧知の寺院関係の方々と旧交を温めることができました。
高校時代の友人や、小学生からの友人と会うこともできました。
自然に言葉も山形弁になり、横浜に戻ってからも訛りが出てしまいました。
会話が成り立たないのか、家族から聞き返されることもしばしば。
でも、いいものです。
あらためてわかる自分の根っこ。
身体は疲れましたが、心の充電はたっぷり満タンです。
晋山されたご寺院様には、あらためてお祝いと御礼を申し上げます。
おめでとうございます、そして素晴らしいご縁をありがとうございました。
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山形はそろそろ霜が下りて、雪が降るかも。
急に寒くなってきました。
もう横浜も夏の着物をしまってもよさそうですね。
今日はここまで。