祖母キンさんの49日忌法要、25日に行わせていただきました。
7月8日に亡くなったので25日はちょうど49日忌の正当。
この8月7日に葬儀を終えてに日数があまり経っていないことから、ごくごく身内で執り行わせてもらいました。
孫のワタシが導師、で母と妹家族の計5人での49日忌。
大阪の身内がコロナで出席できませんから、納骨はまだまだ先延ばしです。
キンさんの実子が葬儀にも49日忌にも出られず、納骨にも立ち会えないとなれば、私どもとしても悔いが残ります。
コロナ終息の時期を待って納骨を行うこととし、今回はごく身内での法要です。
いつもと違い「導師兼施主」「当事者」として読経するというのは、本当に深く故人のことを想いながらの法要になります。
当たり前のことなのですが、あらためて、キンさんにお経の功徳が伝わりますようにと念じながらの読経になりました。
仕事の都合もあって夕方からの法要になったので、故人を想いながらの会食もお酒をいただきながらの和やかな雰囲気で進みました。
会席のお店がお休みで居酒屋さんでの会食になったのですが、河北町もご多聞にもれずコロナのせいでお客は私たちだけ。
しかし、おかげさまで料理は早く出てくるし、おバカな想い出話も誰はばかることなくできますし、何だかかえって良かったような・・(;^ω^)
和ダイニング五法さん、美味しかったです。
キンさんの好きな出し巻き卵、きちんとしたお仕事がしてあって感動しました。
揚げだし豆腐も美味しかったな。
あ、写真はありません、悪しからず。
翌日は本堂の清掃と長押にかけてある写真の整理。
葬儀に使った肖像写真を長押にかけて、私たちを見守ってくれるようにと念じます。
小さな本堂の長押は、もう古い写真で一杯です。
比較的新しめの物を残して、あとは押し入れに整理しました。
私の法戦式の写真や、師匠と二人で寒行托鉢をしている写真、倫勝寺の晋山式や義宗の得度式の写真などなど、思い出がいっぱいです。
昔日の写真を見上げながら、この写真を見る人も時代とともに変わっていくんだなと思うと、ありありと諸行無常の真理が胸に迫ってきます。
母がいなくなった後、私がこの世から消え去った後、この寺は、この写真はどうなるんだろう。
胸に兆す寂しい想いを感じながら、それでも人間はご飯を食べなければ生きていけません。
そんなこんなで整理を終えた後、月山の麓、西川町までお昼ご飯とお風呂に行くことになりました。
「蛙の子」に行くか「そば処ふもと」に行くか、と思っていましたが、たまには違うところに行くべえ、という事で
「武兵衛蕎麦」というところに行くことになりました。
母と二人で冷たい肉そばと鴨板蕎麦、かいもち(蕎麦がきのことです)を頼んだのですが、
あまりの美味さにびっくり仰天!
星のとんだきれいな10割蕎麦。
太くなく細くなく、そばの品種「出羽かおり」の爽やかな香りが鼻腔をくすぐります。
冷たい肉蕎麦のたれも私好みの谷地「といや」風澄んだきれいな鶏スープ。
鴨漬け汁も、飛びたけ(かなあ?)の入ったコクのある味で、しかもそばの風味を邪魔しません。
いやあ美味しい。
しかし・・・蕎麦もいいけど絶品「かいもち」(すみません、写真はありません)は食すべし、でありますね。
私はかいもちにはうるさいのであります。自分でも作ります。かなり上手です。
わたしのかいもち、口に入れるとスッと溶けるかいもちで、人様に出しても恥ずかしくないと思っているのですが・・・
が、武兵衛さんちのかいもち、文句つけようがない・・というより、私よりはるかに上手(あたりまえか)。
スフレのようなかいもち、とでもいいましょうか、素晴らしい!
そばの世界に祝福を!と謹んで申し上げます ( ;∀;)
河北町も西川町も、コロナ禍の中ではありますが、きちんと仕事をしている方々がいるところは絶対大丈夫!と思うのであります。
キンさんの49日忌を終えて、心が少しほっとしたところもありますが、
山形の美味しいものをいただいて、よし、頑張るかぁ!と小さくガッツポーズをする住職でありました。
山の写真はお蕎麦とお風呂の後にドライブした、月山の志津から旧湯殿山ホテルへ抜ける六十里越え街道で写したもの。
五色沼から見る月山の頂は、やはり霊峰。穏やかでありながら峻厳な趣のある山々です。
今日はここまで。