もう、数日で8月がやってくるので、いまの描いてる仕事と、今年中に描く予定の仕事には何の関係もないんだから、と、思うんですが、8月9日長崎のことをずーっとずーっと、考えています。ここ4年間、ずっと考え続けてはいるんだけど、こうしてまた夏がやってくると、ますます。 今年1月、長崎市在住だった山口彊(つとむ)さんという方が、胃がんにより亡くなられました。享年93歳。彼は、もともと長崎三菱造船所に勤めて居られ、1945年8月6日は、広島に新たに作られた三菱造船所へ、出張へ出かけた折、一発目の原子爆弾の惨禍にあい、3日後、必死の思いで帰った長崎で二度目の惨禍を見るという、二重被爆者です。
このような奇跡的なことがありうるのかと、私は最初思いましたが、山口さんのような二重被爆者は、現在分かるところでは、一六〇名ほど居られたとされています。主に、三菱造船所職員の方と、被災地への応援へ駆け付けた医療関係者で、看護婦の女性も居られたらしいです。しかし、自ら申請して、国からも二重被爆者と認められ、六四年後までこの過酷な体験を語られたのは、山口氏のみです。 彼は、私の祖父の同僚だったんですね。歳も近いし、もしかしたらお互い、見知っていたかもしれない・・・なんて、もう、私は尋ねる人がありません。山口さんは九〇歳過ぎても、精力的に講演活動をなさり、アメリカに出かけ、ハイスクールの学生や、国連で「私が死んだ後も、平和へのバトンを受け取り、引き継いで下さい。」と、訴えられ続け、亡くなる10日前、山口氏に会うために来日したジェイムス・キャメロン監督と、病室で握手をしておられます 「私の勤めは終わりました。」という山口氏にキャメロン監督は「お疲れさまでした。私たちは、あなたの意思を受け継ぎます」と、答えていましたが・・・・私は「アバター」はみていないのですが「原爆」を「タイタニック」のようには絶対、撮ってほしくありません・・・・・ 今日のような夏空の快晴を「見晴らしがいいから、街に原子爆弾を落とせるぞ!やった!!」と、当時の「エノラ・ゲイ」と「ボックス・カ―」号のパイロットたちは思ったわけですが、私はその瞬間の彼らが、狂気にとらわれていたとは、思えません。皆「普通の」人達だったと、思います。私の祖父や、山口さんと同じに、当たり前の正義と使命感を持って、自分が生まれた時代を生きていたと、思います。 戦争において、相手方の戦力を失わせるのはまっとうで、資源の全くない当時の(今も)日本は、幼い子供の通う小学校などは、間違いなく「兵隊の生産基地」だったから「日本の戦意を失わせ、戦争を早く終わらせるため。」というアメリカの言い分は、そうなのだろうと思うし、これからもくつがえらないでしょう。オバマ大統領が演説した「原爆を投下したことの道義的責任は、認める。」しかし、謝罪はしない、というスタンスも、その後のアメリカ製戦後民主主義教育によって、健やかに育てられた私には、反論はないです。 でも・・・・・・ もっと、ちゃんと勉強しなきゃ。長崎のこと。ちゃんと滞在して、色々調べたいです。今は、大河ブームで旅行代金が高そうだから、もう少しいろいろ落ち着いてから。 浦上天主堂近くに、教会のホテル?というか、長期滞在バックパッカ―むけの、素泊まり、朝のミサ付き、一泊¥3000というのがあるので、体力が許せば、そことか・・・
このような奇跡的なことがありうるのかと、私は最初思いましたが、山口さんのような二重被爆者は、現在分かるところでは、一六〇名ほど居られたとされています。主に、三菱造船所職員の方と、被災地への応援へ駆け付けた医療関係者で、看護婦の女性も居られたらしいです。しかし、自ら申請して、国からも二重被爆者と認められ、六四年後までこの過酷な体験を語られたのは、山口氏のみです。 彼は、私の祖父の同僚だったんですね。歳も近いし、もしかしたらお互い、見知っていたかもしれない・・・なんて、もう、私は尋ねる人がありません。山口さんは九〇歳過ぎても、精力的に講演活動をなさり、アメリカに出かけ、ハイスクールの学生や、国連で「私が死んだ後も、平和へのバトンを受け取り、引き継いで下さい。」と、訴えられ続け、亡くなる10日前、山口氏に会うために来日したジェイムス・キャメロン監督と、病室で握手をしておられます 「私の勤めは終わりました。」という山口氏にキャメロン監督は「お疲れさまでした。私たちは、あなたの意思を受け継ぎます」と、答えていましたが・・・・私は「アバター」はみていないのですが「原爆」を「タイタニック」のようには絶対、撮ってほしくありません・・・・・ 今日のような夏空の快晴を「見晴らしがいいから、街に原子爆弾を落とせるぞ!やった!!」と、当時の「エノラ・ゲイ」と「ボックス・カ―」号のパイロットたちは思ったわけですが、私はその瞬間の彼らが、狂気にとらわれていたとは、思えません。皆「普通の」人達だったと、思います。私の祖父や、山口さんと同じに、当たり前の正義と使命感を持って、自分が生まれた時代を生きていたと、思います。 戦争において、相手方の戦力を失わせるのはまっとうで、資源の全くない当時の(今も)日本は、幼い子供の通う小学校などは、間違いなく「兵隊の生産基地」だったから「日本の戦意を失わせ、戦争を早く終わらせるため。」というアメリカの言い分は、そうなのだろうと思うし、これからもくつがえらないでしょう。オバマ大統領が演説した「原爆を投下したことの道義的責任は、認める。」しかし、謝罪はしない、というスタンスも、その後のアメリカ製戦後民主主義教育によって、健やかに育てられた私には、反論はないです。 でも・・・・・・ もっと、ちゃんと勉強しなきゃ。長崎のこと。ちゃんと滞在して、色々調べたいです。今は、大河ブームで旅行代金が高そうだから、もう少しいろいろ落ち着いてから。 浦上天主堂近くに、教会のホテル?というか、長期滞在バックパッカ―むけの、素泊まり、朝のミサ付き、一泊¥3000というのがあるので、体力が許せば、そことか・・・
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