10月23日 父との永遠の別れ・・・


ブログに書くか?否か?と思いましたが、、、。
自分の中で消化出来ていない部分?を
纏まらないまでも、少しずつ書いてみようと思います。
父の病気は、初期は骨髄異形成症候群と診断され、昨年白血病と診断されました。

ヒトとして尊敬出来るDrに診て貰え、担当医が良ければ必然的に周囲も良いのか?

本当に血液腫瘍科のスタッフの方々には良くして頂きました。
研修医の○○先生、、、容態急変時は、早朝にも関わらず駆け付けてくださいましたね
担当医の○○先生、いつも父に優しく接して下さり看取って頂き有り難うございました。
入院中上手く話せなくて聞き辛い話に父の側まで来て下さり
「何かな~?」「、、、言われていますか?」
「ごめんね、、、分かってあげれなくて、、、」
いつも声掛けをして下さいました。
容態急変という事で、大阪の息子に

すると

学会前で、徹夜続き&実験中だったようですが
実験を中断して帰って来てくれました。
看護師さんが「意識ははっきりしているし、耳も良く聞こえていますよ」と
教えてくださったので色んな話をしました。
ところが、私達が耳元で何を言っても反応が無く 苦しそうでしたが
可愛がってくれていた甥と、息子の声に反応するのです。
息子が「お祖父ちゃん、○○○よ!!大阪から帰ってきたよ!!」
、、、後は、、、声になりませんでした。
それでも、父の前で泣く訳にはいかないので、、、。
病室を出て、気持ちを切り替え再度息子が声を掛けると反応しました。
「お祖父ちゃん ○○○よ!! 分かる??」と言うと酸素吸入をして貰って
息も絶え絶えなのに 可愛がっていた孫の声に反応しました
それから、息子が「お祖父ちゃん 少し前に長崎の学会に行って来たよ!!」
「かなり難しい部分もあったけれど、自分の為になったと思ったよ」、、、etc、、、。
話を聞いて、、、最後に父が、、、頭を縦に動かし確かに頷きました。
そして「ありがとう」という言葉が、病室で自然発生し
皆で父に「ありがとう」が言えました。
そんな会話があって、、、EKGの反応無し、pulse 0
EKGの機械音も無くなり、母、孫達の呼び掛けが空しく病室に響いていました
それから、自宅に連れて帰り 叔母、母、色んな考えで25日通夜、26日葬儀とし
時間があったようで、無かったようでもありましたが、28日から私は出勤しました。
父が亡くなり、息子が一度大阪に帰ったので駅まで向かえに行く道中
あまりに青い空なので父の亡くなった日の空を撮りました。

車中、溢れ出る涙で撮れたか?どうかも分かりませんでしたが
一枚だけ撮った写メです。
それから、葬儀が済み、、、夕方から急に冬のような冷え込みが、、、

天気も、なにもかもが全て待ってくれていたかのような、、、父との別れの秋でした
職場で色々と声を掛けて貰いましたが、、、。
ある人が「お父さんは、ずっと胸にいるよ」って、、、言って下さいました。
本当に確かに、、、そうだと思いました。

なので、「

に行けば、またあの笑顔で笑っていてくれているような気がします」
と言っている私がいました。
今年の秋は、寂しい秋になりましたが、、、ヒトは、どう生き、どう生かされているのか?
父を通して、命の尊さを再確認出来た瞬間でした。
泣いてばかりじゃダメですね!!娘にも心配を掛けてしまいました

もう、、、大丈夫!!
ごめんね 子供達よりも沢山泣いてしまったね~
孫達は、それぞれに「お祖父ちゃんの物を何か頂戴」って
それぞれに、母から貰っていました。
私は、生前父が言っていた言葉や、父に諭されていた事を胸に
頑張らねば!!
頑張れ!!私!!