JAZZ from Nishinomiya

V・プレミアリーグのJTマーヴェラスを応援しつつ、日々の出来事や雑感を語ります。ときどき毒づきます。

15日に書きたかったニュース その1

2006年03月17日 02時50分41秒 | 雑感
千鳥ヶ淵に赤いビル、これがイタリア感覚?


気持ちは良くわかるんですが、東京というのは建築デザインに関しては無秩序さで溢れ返ってる都市じゃないですか。このビルだけ景観がどうこう言うのも如何なものかと。確かに皇居のほとりではありますが。。。

ひとつひとつのビルのデザインは良くても、周りとの調和なんて無視したような自己主張。汐留や品川みたいに密集して建っていたらまだましだけど、周りから飛び抜けて建っているビルってのは目も当てられない。

これはあくまでも超個人的な感想なんですが、MビルのAグリーンヒルズってあるじゃないですか。上層階が先細りになっていて個性的なんですが、俺には異様に映りましたね。ツインタワーのうち丸い建物(マンション)のほうが。

というのもあの形、アメリカの原子力空母「エンタープライズ」のアイランドを連想してしまうんです。もちろん1979年の改修前のいわゆるパゴダマストですよ。俺はなぜかあのデザインに悪魔的なものを感じてしまうんですよね。

悪魔的といえば、これも超個人的な感覚なんですが、子供の時からハングル文字のデザインにも同じような気持ちを感じています。なんかハングルの文章って見た目が怖い。なんちゅうか、宇宙人が描いた象形文字みたいで。すいませんね、悪気はないんですよ。昔からの感覚なんです。

で、話を町の景観に戻すと、繁華街が雑多になってしまうのは良くわかるんです。というのも元々雑然としていることに加え、日本の場合はさらに看板に問題が。

俺は日本語ってのはもの凄く自由度が高くて様々な表現が可能な素晴らしい言語だと思うんです。そもそも漢字というものがそれ自体個々に意味を持っているだけでも面白いのに、日本語の場合はひらがなを併用するから微妙な言い回しも自由です。

外来語もカタカナに直せばそのまま使えますよね。“インスパイアされる”とか“ファッキンな奴”とか“F1グランプリ”とか。全部「日本語」になりますよね。縦に書いても横に書いてもいいし、だから日本の新聞や雑誌は面白い。

反面、文章にしたときの視覚的まとまりやデザイン性となると、これはアルファベットに劣ると思うんです。アルファベットってのは個々が意味を持たない表音文字です。だから26個(正確には大文字&小文字の52文字)のそれぞれが厳選されたデザインなんですよね。言ってみれば記号みたいなもんですよ。

一方で漢字は前述のようにそれぞれ意味があるし、ひらがなやカタカナも漢字を崩して作られたものだから、どうしても成り立ちの過程でデザイン上の制約というものがあります。

したがってアルファベットの看板が街中に溢れていても、日本語のそれと比べるとまだスッキリした印象になるのは当然なんです。ひいては日本の繁華街や商業施設、駅など、看板や標識があるところがごちゃっとした雰囲気になるのは仕方ないかな、と思います。

梅田駅の案内標識なんて日本語、英語、中文、ハングル併記ですよ(笑)。まだあそこは色が落ち着いているからマシなんですけどね(浜松だとポルトガル語併記とかになるのかな?)。

ただ、あるふぁべっとだけでかいたぶんしょうってのはどうもよみづらいようで、せんもんようごをわすれましたがはんどくりつだったかな、それがあめりかのこどもはにほんのこどもにくらべてちょっとひくい、そんなことをきいたきおくがあります。にほんでもひらがなだけのぶんしょうって、やっぱりよみにくいですよね。しかもおなじよみでいみのことなるたんごだってたくさんありますし。カタカナダトイッソウヨミニククナリマスヨネ。


→ ただ、アルファベットだけで書いた文章ってのはどうも読みづらいようで、専門用語を忘れましたが判読率だったかな、それがアメリカの子供は日本の子供に比べてちょっと低い、そんなことを聞いた記憶があります。日本でもひらがなだけの文章って、やっぱり読みにくいですよね。しかも同じ読みで意味の異なる単語だってたくさんありますし。カタカナだといっそう読みにくくなりますよね。

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