JAZZ from Nishinomiya

V・プレミアリーグのJTマーヴェラスを応援しつつ、日々の出来事や雑感を語ります。ときどき毒づきます。

猫好きの身としては聞くのも辛い話ではあるけれど

2006年08月25日 03時39分11秒 | 雑感
女流作家「子猫殺し」 ネット上で騒然


ここ数日で一番嫌だった話題。これについてはあらゆるメディアにおいても様々な意見が出ているようです。なるほどなぁ、と思う意見も多いのですが、俺としては、

手に負えないなら飼うな!

と言いたい。それが全てだと思いませんか?

記事を全部読んだのですが、ひとつ弁明すると、この人は動物を飼うということのエゴは充分に認識されているようです。

その割には、ペットと人間の関係について一石を投じた、わけでもない。多くの人を不愉快にさせただけなんじゃないのかなぁ。基本的には、エゴは承知で飼うのなら、避妊手術させるべきだと思うんですよ。

以前ミレイユを飼っていたときは、完全部屋飼いで妊娠の心配はなかったから手術はしなかったけど、屋外飼育なら避妊/去勢手術をしないと。。。オス猫だったらどこかの野良猫に種付けしてるかもしれません。そしたらまた罪もない子猫が増える。

個人的には野良猫だってのんびり暮らせる町のほうが平和で好きですけどね(笑)

子猫を我が手で殺すのは、この人なりの愛情だと思うんですよ。歪んでいますけどね。ネコも生む権利があるから避妊手術でそれを阻害するつもりはない、だから生んでから、生まれた子供を殺す・・・個人的にはその発想は理解できないけど、まあそういう考えの人もいるのだろう。

しかしネコにだって、我が子を育てる権利がある。この人のやっていることは、人間のエゴを前提に飼育している以上、その悪行は自分が背負う、ということなのかもしれません。

ただ、子供が生めない身体になってしまうことと、子供は生めるがその子供をすぐに殺されること。猫にとってはどちらが幸せなのか?

考え方は人それぞれと思いますが、ここでひとつ。猫という動物は、第三者が自分の子供に対し危害を加えようとしたとき、自らがわが子を殺すという選択をすることもある、とだけ書いておきましょうか。本能とはいえ、我々にはちょっと考えられないほど業の深い愛情?ですよね。

ところで、タヒチ(坂東氏はタヒチ在住)といえば画家のゴーギャンを連想する人も多いと思います。楽園を求めてタヒチに移住したゴーギャンは結局彼の地で没したのですが、その遺書代わりの作品として知られるのが「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」

殺された子猫も、そんなことを思いながら逝ったのかな(偶然にも、この絵の中にも猫らしき動物が描かれていますね)。

しかしまたなんで坂東氏はわざわざ記事にネコ殺しのことを書いたんだろう。懺悔のつもりか?注目を浴びたかったのか?まさか書くネタに困ったのか?

憶測でしかありませんが、自分の行為を誰かの手によって(つまりここでは世論を意味しますが)、止めてほしかったのかもしれませんね。人間、非難されることによって得られる類の安らぎというものもたしかにありますからね。もうこれでやらなくていい、遠いタヒチの地で今頃は葛藤と後悔と安堵が入り混じった感情を抱いているのかもしれません。

さだめし自嘲を覚えながら。


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