2008.11.30付け長崎新聞の記事によると、長崎市の学校選択制は、導入から4年で行き詰まりを見せている。「坂の街長崎」では通学の利便性が学校選択の主たる理由となっており、高台の学校は軒並み敬遠され、平地の学校に集中しているという。三川中では生徒数が04年の228名から08年は61名と4分の1に減少した。 選択制を採っているところではどこも言われていることだが、地域の行事に参加しないなど、地域とのつながりの希薄化が憂慮されている。もう先は長くないな。ここ数年のうちに制度の見直しか学校統廃合で決着をつけざるを得ないだろう。
障害者差別禁止法を実現する長崎県集会、第1回は本年2月に、長崎市で開催されました。そのときの感想はこのブログの「政治家の力と認識」に書いています。第2回目が11月16日に大村市で開催され、参加しました。第1回、第2回、それぞれの地元の方が参加されているようで、2回続けての参加者は主催者と私を除いておられないように感じました。参加者が別だから同じ形式、内容でいいとも言えますが、十何人もの政治家の話を聞いていると、虚しいような、危ういような感じがします。つまりみんながみんな「障害者差別禁止」の理念には大賛成なのです。しかし、その法律ができたら障害者を取り巻く状況がどう変わるのかを誰一人語りません。語らないと言うより語れない、つまり中身に対して何のビジョンも用意していないのです。今日障害者差別禁止の理念に反対する者などいようはずがありません。
焦点は教育問題、法の制定に伴う国内法の整備で、自民党は教育制度を変えるつもりがあるのか、ないのか。共産党は現行教育制度を維持しながら支援保護の面を拡充するだけで足りると思っているのか、民主党は? 社民党は? 同床異夢というが、ビジョンがないのだから夢もありません。
前回の会で、一人の障害者代表が「今まで何回も宣言やら、条約やら、法律やらができて何かが変わるんじゃないかと期待したが、結局大した変化はなかった。今度も同じじゃないかという不安を感じる」と発言していましたが、その不安は正しいと思います。
特に県条例の場合、「子どもの権利条約」に基づくはずのものが「長崎県子育て条例」に化けた前例もあります。今のままでは「長崎県障害者差別禁止条例」ができたところで、現実は何も変わらないと思います。
問題となった例の懸賞論文、主宰した企業の代表と,最優秀作品に当選した空幕長と元首相は旧知の間柄だったという。出来レースというか八百長というか、最優秀作品は初めから決まっていたんだ。その最優秀作品の筆者が支配する機関が応募をすすめる。それに応じて何十人かの部下が応募する。そして、最優秀作品が発表され、筆者がわかる。そのとき応募者たちは何を考えたのだろう。「いいんだ、いいんだ。結果は初めからわかっていたんだ。だけど、応募しないわけにはいかない。応募したことを上司から認められれば、それでいいんだ。まさか、自分の作品が最優秀作品になって、最高幹部の作品がその下に評価されたりしたら、それこそどうしようもないことになる」そんなことを考えたのだろうか。
下っ端の軍人は従順でなければならない。そうでなければ軍隊という組織は成り立たない。ではあるけれど……………。
下っ端の軍人は従順でなければならない。そうでなければ軍隊という組織は成り立たない。ではあるけれど……………。
昔、子どもどうしがけんかした時、負けそうになった子が言ったもんだ。「うちの父ちゃんは強いんだぞ、空手を使うんだぞ。おまえなんか、父ちゃんに言いつけてコテンパンにやっつけてやる!」こまっちゃくれた近頃の子どもは、たぶんこんな幼稚なことは言わないんだろうな。ところが、近頃いい大人がこんなことを言った。「私の考えは理解されている。私の後ろには、二人の元首相がいるんだぞ!」 それが自衛隊の最高幹部だというから情けないやら、恐ろしいやら。後ろ盾とされた元首相がまた、そう言われて納得できる実績のある人物だ。シビリアン・コントロールしているのがこんな人物で、こんな国粋主義者が絶大な武力を握っている。しかも二人の元首相にとどまらず、確かに妄想的歴史観を理解し擁護する政治的勢力が存在することを思えば、我々は薄氷の上に生きているのだ。