昨日の夕方、突然、玄関のチャイムがピンポ~ンと鳴った。
出て行くと、ワンコを抱っこし、お嬢さんを連れた近所の友達だった。
『ワンコの1才の誕生日の記念に作ったの!おすそ分けね』
と、かわいいトイプーの写真入りチロルチョコを差し出した。
『ああ、まだ1才だったんだ~。一番おてんばで、イタズラしても可愛い時だよね~。』
といって、ワンコをなでながら、受け取った。
そして、私は、『私も、飼いたいよ~』言った。
すると彼女は、『え?飼えばいいじゃん!!』と明るく応えた。
悪気はなかったはず・・・・だけど、
ルーキーの死と向き合い、乗り越えようとあがく私に対する、その無神経さを少々腹立たしく思い、
『15年後の事を考えると、簡単には飼えないよ。
また、あの亡くす悲しさを繰り返すと思うと、なかなか抜け出せない。
生き物は、寿命があるから・・・・』
と言ってしまった。
ルーキーの死から抜け出せないのは、私自身の問題だし・・・、
今、考えてみれば、1才の誕生日を喜んでいる人に、死んじゃう時の話なんてピンと来るわけない。
失礼なことを言ってしまったと思う。
さらに、彼女は、
『私立○○中学に受かったの♪ 4月から行きま~す』と言って、お嬢さんを私の前に押し出した。
私は、『おめでとう!頑張ったよね。良かったね』と声をかけ、チョコのお礼を言って、送り出した。
心の中は、何とも言えないむなしさと腹立たしさで、大嵐だった。
昨年の今頃、私も中学受験をする息子を持つ母だった。
ゴルフ部のある中学校に進みたいという息子に、小学3年生から進学塾に通わせ、6年生には、受験が中心の生活を送らせた。
模試の結果も合格80%とありながら、結果、行きたい学校には、合格する事ができなかった。
合格した学校もあったけど、私立進学にこだわらず、地元中学に進み、高校受験で仕切り直したいという息子の気持ちを尊重し、今の学校に通うことにした。
この選択は、正しかったと思う。だけど・・・
たくさんの問題を起こす度、自分の選択が間違っていたのかも・・・
受験勉強で、大切な楽しい小学校生活を奪ってしまったからなのか・・・・
と、自責の念にかられる。
ルーキーの死も、息子の受験結果も、これが現実。
他人が何を言おうと仕方のないこと。
十分、理解して居るし、受け止めている。
それに・・・・
息子は、今、悪い事をしながらも学び、ちゃんと成長して居るし、打ち込めるものを見つけ、楽しんでいるじゃないか・・・。
と思い返す。
寄り道せず順調に歩んで行く人生より、悲しみや苦しみを味わいながら、乗り越え、成長していく道の方がずーっと味わい深いものになると信じている。
だから、今、友達に対してイラついた自分に対し、少々、落ち込んでいる。