4月はさっぱりですな…。
桜も見ごろは こーんな雨にさらされて
結局「お花見」は無し!ですんでしまいました。
もうすぐ5月です。
2005年の5月頃は チケットやチラシくばりなどに「さあ!がんばろうぜ!」と力が入っていたころです。
地元のテレビ局や地方誌などに「こんなひと紹介」をお願いしたり それぞれが役割分担で動いていました。なつかし~。
市場の秘密の場所が「会合場所」だったもんね!
実は「灯台下暗し」意外でしょうがまっつあんは福井じゃ知ってる人は少なかったのです。
音楽が好きな人にとっては 目の前に「松原正樹」っていう場面だと「直立不動」になるというぐらい あこがれられてる存在らしいのですが…
どだいがお母さんがなくなって以来
「福井へ帰る」というのは「お墓参り」程度だったようで よって松原正樹の「活動」は東京中心だったのであります。
知名度という点で「チケットが売れるだろうか?」という心配はありました。
そこはもう「よっしゃ!その際は俺らでかぶろう!」という企画人達…。
せーかつは厳しいけれど…え~なあ…友情じゃ!
9月になってその心配は 反対に「キャパが狭いんじゃ?」というような真逆の憂いになってまいりましたが…(ありがたいことでした)
桜が咲くと その時期の事が色々と思い出されますね。
桜も見ごろは こーんな雨にさらされて
結局「お花見」は無し!ですんでしまいました。
もうすぐ5月です。
2005年の5月頃は チケットやチラシくばりなどに「さあ!がんばろうぜ!」と力が入っていたころです。
地元のテレビ局や地方誌などに「こんなひと紹介」をお願いしたり それぞれが役割分担で動いていました。なつかし~。
市場の秘密の場所が「会合場所」だったもんね!
実は「灯台下暗し」意外でしょうがまっつあんは福井じゃ知ってる人は少なかったのです。
音楽が好きな人にとっては 目の前に「松原正樹」っていう場面だと「直立不動」になるというぐらい あこがれられてる存在らしいのですが…
どだいがお母さんがなくなって以来
「福井へ帰る」というのは「お墓参り」程度だったようで よって松原正樹の「活動」は東京中心だったのであります。
知名度という点で「チケットが売れるだろうか?」という心配はありました。
そこはもう「よっしゃ!その際は俺らでかぶろう!」という企画人達…。
せーかつは厳しいけれど…え~なあ…友情じゃ!

9月になってその心配は 反対に「キャパが狭いんじゃ?」というような真逆の憂いになってまいりましたが…(ありがたいことでした)
桜が咲くと その時期の事が色々と思い出されますね。