好きなことをできる喜び かみしめ日記

夢を叶えるためには、もっと死にもの狂いにならなきゃね。
と自分に言い聞かせている LEEの徒然日記

レポート公開

2014-04-03 19:26:53 | Weblog
レポートが書けんとか書けたとか、度々報告してますが、どんなのを書いたのかは載せたことないな。と思って、自信作をひとつ公開してみることにします。


『ハムレット』とその他、参考書を読んで、シェイクスピア劇の様式と内容の特徴をまとめなさい。という課題です。
以下、興味のある方は、わたしの見せびらかしたい衝動にお付き合いくださいませ。
ちょっと長いけどねー。


エリザベス朝の演劇のルーツは中世にある。
11世紀から教会は人気のある聖人の生涯を物語る奇跡劇の上演を奨励し、14世紀には「聖史劇」というジャンルの劇が登場する。しかし宗教改革後、「聖史劇」はあまりにカトリック的であるとみなされ、16世紀中頃には禁止されてしまう。しかしそれまでにイングランドでは、善と悪の絶え間無い闘いを描いた「道徳劇」が流行し始めていた。旅役者たちは様々な場所で演じ、1560年代からは、貴族や君主の名のもとに一座が形成されるようになり、「女王一座」のようにその名を冠した一座が現れた。また役者の中には劇作を始める者もいて、書かれる戯曲は「道徳劇」の枠を越えるようになった。またそれとは別に、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の卒業生たちの「大学才人たち」が形式にとらわれないロンドン演劇界のために劇を書き始めてもいた。そしてジャンルの幅はさらに広がり。ロンドンでは喜劇や笑劇、歴史劇、メロドラマまでが古典劇の規制をほとんど無視して上演されるようになった。
1576年、ジェームズ・バーベッジがローマの円形劇場を模した劇場(The theatre)を建てたのを皮切りに、カーテン座、フォーチュン座、レッド・ブル座、ローズ座、スワン座、グローブ座、ホープ座と、公共の劇場がロンドンにいくつも設立され、演劇は一時的ではない隆盛を見せる。シェイクスピアの劇は、宮内大臣一座が所有するグローブ座で多く上演された。
当時の劇場の形態は、残されていた資料によると、グローブ座は木造で、20角形の円筒形をなしており、中央部分の屋根はない。その中央は、立ち見客用の平土間と、建物から土間に突き出す形に造られた舞台からなっていた。円筒の部分は桟敷席となっていた。舞台奥には俳優の出入り口や楽屋があり、劇場の外に通じていた。また舞台奥の2階にはバルコニーがあった。その他舞台には席や吊物を上下させる機構などがあったこともわかっている。
役者は全員が男性か少年で演じられ、大掛かりなセットのない中、役者たちは台詞だけで、いつどこで何が起こっているのかを観客に伝えた。
役者たちには、ひとつの劇の上演が決まると、自分の台詞とその前の「きっかけ」の言葉が書かれた台本を配られた。この当時は演劇とは作家が書いた台本を役者が解釈して演じるものであった。舞台のすべてを指揮する演出家が出てくるのは、何世紀も後のことである。また、興行期間も短く、再演されることもあまりなかった。

ジェームズ朝に移ると、演劇はしばし、陰気、教訓的、内省的へと変化した。その背景には、ジェームズ朝宮廷での上演が好んで行われたホワイトホールの影響があると考えられる。蝋燭を照明に使ったこの屋内劇場は、上演に様々な変化をもたらした。例えば、夜の場面はよりリアルに表現することが可能となり、妖精を飛ばしたり、神の降臨を見せるなど、特殊効果を使った上演もできるようになった。
シェイクスピアの書く作品にも変化は見られた。エリザベス朝のころに書いていた快活な喜劇から、後々称えられることとなる「ハムレット」「オセロー」「リア王」「マクベス」の四台悲劇も、ジェームズ朝になってから書かれた作品である。
四大悲劇の中でも特に知名度が高いのが「ハムレット」である。
時と国を超えて「ハムレット」が何度も上演され、多くの人々に読まれている大きな要因のひとつは、劇中における主人公ハムレットの躊躇いが、どの時代のどの国の人にとっても覚えのある行動であるところにあるように思う。
大きな決断を下した時、僅かの躊躇いもなしにその決断を遂行できる人間は少ないだろう。「ハムレット」の中では、それが父親殺しの犯人である叔父への復讐であるわけだが、大多数の人は、そのようなシチュエーションに身を置くことはない。しかし、自分の中の何かにそれを置き換えることは可能であると思う。生きていれば、人は大なり小なり何か行動を起こさずにはいられない。その時の迷いや躊躇いは、多くの人間にとっての共通事項だろう。チャンスがあっても、迷いや躊躇いがあってひと思いに実行に移せず、自分に言い訳をすることも、そんな自分に自己嫌悪を覚えることも、どの時代のどの国の人間にもあることだろう。そんなひとりの人間のうちに渦巻く葛藤が、まるで鏡のようにハムレットによって映し出されているのだ。「To be or not to be」は、全ての人間にとっても問題なのだ。
またこの物語において、ホレイショの存在が、とても大きな役割を果たしているように思う。役としては、ハムレットの臣下であり友人というポジションなのだが、劇場という空間で彼は、劇の傍観者であり、ハムレットと他の人物をつなぐ役割を担っている。それは登場人物だけでなく、観客にも及ぶ。幽霊を見たという将校たちとハムレットをつなぐところから話は始まり、「ゴンザーゴ殺し」を観劇しているポローニアスを観察しそれをハムレットに伝え、最後は、殉死することを止めたハムレットに、この物語の伝承者になってくれと頼まれ、それを受け入れる。彼はある意味、劇の中にいる観客として存在し、本物の観客と登場人物たちの(当然役者よりではあるが)中間に位置している。その存在が、観客の気持ちが劇の中へ入っていくのを大いに手助けしているのだ。
「僕の物語を語りついでいってくれ」と言ってハムレットが息を引き取り、ホレイショは遺言通り、まずはフォーテンブラスに伝える。そして実際、「ハムレット」は時代も国も超えて人々に伝えられている。その現実と芝居とのリンクを感じて、悲劇を見たあとであるにもかかわらず、観客は満たされた気分で劇場を後にすることができるのだ。ホレイショの存在なくして、「ハムレット」は語り継がれることはなかったのだ。



です!
付け焼刃な知識で書いたにしては上出来でしょ?
まあ、結構、参考資料の切り貼りアリですけどね。特に前半。
「『To be or not to be』は、全ての人間にとっても問題なのだ。」は、自分で考えました。結構なキメ文句になったと自負しております。
全体的な評価もすごく良かったんです。
ま、だからここに載せたんですけどね。

もしこれでアクセス数が多かったりしたら、また自信のあるのを見せびらかしたいと思います。

因みに、3月から4月上旬にかけてはレポートはお休みして、小説の方に重点を置いております。
また、10日過ぎくらいから次のレポートに取り掛かる予定です。
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