【写真:西武ライオンズ清原和博選手のサイン(通算100号本塁打 1989年 6月 4日)】
現在はオリックス・バファローズに所属する清原和博選手。写真は
彼が西武ライオンズに所属していた時代のものである。
1989年 6月 4日のダイエー・ホークス戦(西武球場)で清原選手は
155人目の通算100号本塁打を達成した。21歳9ヶ月での到達
は、プロ野球最年少記録である。どのような状況か失念してしまった
のであるが、通算100号本塁打達成から数日後、とある場所で食事
をしていた清原選手からサインをいただいたのだ。
清原選手で思い出すのは、やはり「1987年の日本シリーズ」である。
讀賣ジャイアンツとの因縁の対決で、西武ライオンズが日本一へ王手
をかけた第6戦。9回裏二死の守備でみせたあの「号泣」・・・。
熱い選手である。
余談であるが、そのシーンをマウンドで一部始終見ていた工藤公康
(左投手)はしたたかだった。彼はそのときこのように考えたそうだ。
「清原の眼は涙でにじんでいる。だからいま打席に立つ篠塚和典(左
打者)にファースト・ゴロを打たれたら、清原は捕球できない。」
そこで工藤はカウント2-1からの4球目、外角へのスライダーを
篠塚へ投じた。打球は、センターのもとへ。秋山幸二がこれを難なく
捕球しゲーム・セット。この瞬間、西武ライオンズの日本一が決定し
工藤はMVPを受賞した。
◇◆◇
100号から17年の歳月が流れた。彼も、いろいろなキャリアを
経験し、現在のポジションに辿り着いている。たとえ「無冠」だって
いいじゃないか。「AK砲」として、秋山選手とともに西武黄金期を
支えた素晴らしいプレイの映像が、今でもプロ野球ファンの記憶の中
で鮮明に残っているのだから。
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