【GEORGE HARRISON】
ジョージ・ハリスンによる「アコースティック・ナンバー」である。
この曲は、1969年の夏“ABBEY ROAD”の制作の過程でレコーディング
されたが、書かれたのはその年の早い時期であろう。1969年の冬とい
えば、あの過酷な“GET BACK SESSION”、4人が設立した会社の財政
面の危機による分裂・・・。ビートルズとしての「終わりの始まり」
の時期であった。
Little darling, it's been a long cold lonely winter
Little darling. The smiles returning to the faces
Lillte darling. I feel the ice is slowly melting
1962年以来、ビジネス・マネジメントの分野ではブライアン・エプ
スタインに、音楽的創造の分野ではジョージ・マーティンに支えられ
4人は、「7年」という歳月が過ぎ行く中、主演映画“A HARD DAY'S
NIGHT ”のワン・シーンのように、疾走しながら成長し続けてきたの
であった。
1969年に‘Here Comes The Sun’を作るにあたり、ジョージの目に
はいったい何が映ったのであろうか。「華やかな夏」と「寂しい冬」。
1969年の冬、そしてビートルズとしての「春夏秋冬」。冬から春へと
移ろい行く季節の中で、彼は「太陽の光」に「何か」を期待したので
あろうか。
楽曲的には‘If I Needed Someone ’の延長線上にある佳曲である
と思う。
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で、なぜそのときジョージがクラプトンの家にいたかというとですね。
アップル社の経営のごたごたがあって、ジョン・ジョージがアランクラインを経営にひっぱり込もうとした。それですったもんだあって。結局ジョージは、もうアップル経営はまかしたよ、い~ち抜けたと、ロンドンを抜け出して、クラプトンのいたカントリーホームで遊んでいた。
Here comes sun、いい歌ですね。聞いてるだけで、ポカポカ、うきうきする感じで、
たいへん丁寧な補足、ありがとうございました。
こうして思い返してみると
「ビジネス面」の支柱、エプスタインを失ったことは
彼らにとって大打撃だったことがわかりますね。
雪解け・・・そんなイメージがあります。
Here Comes The Sun・・・♪
昭和51~52年にかけてニッポン放送で毎週表題の番組がオンエアされており、小生も良く聴いていました。この番組の3月最終週にはベスト15が企画され、ファン歴の浅い身としては「どんな曲が並ぶのだろう?」と興味津々で聴いていたのですが、“Here Comes The Sun”はなんと3位!たしか“Yesterday”が4位だったので、さてはリクエスト組織票でもあったのかなと当時は勘ぐったりしたものです。しかし佳曲であることに疑いはなく、ジョージの才能が開花した小差と言えましょう。
蛇足ですが2位は“I want to hold your hand”、1位は“Hey jude”でした。
○ 証左
チャンと変換したつもりが失礼しました。
せっかく頑張って投稿しても変換ミスがあってはいけませんね。
古いネタ、大歓迎です!
組織票ってプロ野球のオールスター・ゲーム
だけじゃないのですね。TEIJIN♪
開花。
例のミ○シィでは
もしも、ジョージの‘ALL THINGS MUST PASS’が
「ザ・ビートルズ」として発表されていたら・・・
喧々諤々と議論が展開されておりますね。
「証左」。
う~む。専門性を感じます。
さすがmensurazoirriさんならでは、という語彙ですね♪
>チャンと変換したつもりが失礼しました。
ライオンズに昨年まで在籍していた「張誌家」投手。その後、どうしているのでしょうか?