【写真:BRUNSWICK “RED ALERT” 2007年02月11日21時58分撮影】
「競技ボウリング」に関わっている皆様は、「ボウリングが競技と
いう側面もあるということ」をいつ知るようになられたのでしょうか。
最近では、各団体で競技ボウラーの育成に力が注がれておりますので
ジュニアが「競技ボウリング」の人口を支えるようになりつつありま
す。ぜひとも、お友達を大切にし勉強も頑張りながら、ボウリングを
楽しんでほしいなと願います。わたしの場合は、1980年代に「学連」
を通して競技ボウリングと出会いました。
学連時代は「ボウリング」の基本を何も習得できないまま、時間が
経過してし卒業・・・。社会人になると、しばらく「競技ボウリング」
から遠ざかってしまいました。しかし人生の転機というものは、いつ
何時に訪れるのか、ほんとうにわからないものです。
仕事が一段落した1995年のゴールデン・ウィーク明けのある日こと
自宅近くの「新杉田ボウル」の前を何気なく車で通りかかりました。
「あ~、ボウリング・・・か~。もう10年近くやっていないよな」
と独り言を言いながら。すると玄関からあの有名なSプロ(現在永久
シード)が出てこられたのです。どこか近くへ買い物にでも出かける
ような自然さで。「そうだ、投げてみよう」。わたしは、自宅にボウ
リング用品を取りに帰り、新杉田ボウルに戻ってきたのです。
それからというもの、判を押したように毎週土曜日に投げました。
最初は1日に10ゲームほどでしたが、次第に昔のスタミナが戻って
きたのでしょうか、夏になると、気がつけば20ゲームを越えていま
した。とにかく面白かったのです。
しかし、すっかり浦島太郎状態のわたしは、あることに気がつきま
した。それは、ボールの外面です。まわりの会員の方は、ピカピカに
光っているボールを投げていましたが、わたしのボールは曇った炭団
のようだったのです。その時のわたしは、10年前のウレタンボール
「AMF社アングル」を使用していました。ところが、その時点での
流行のボールが「リアクティヴ・ウレタン」だということを知ったの
です。
そこでわたしはさっそく、学生の頃のアルバイト先であった深川の
ボウリング場に所属されている、ヒゲの似合うSプロを訪ね相談して
みました。そして手にしたのが「ABS社のコンピュート・バランス
MRG」でした。この出来事が「第2の競技ボウリング」のスタート
になろうとは、そのとき予想だにしませんでした。
武器を手にしたわたしは「地元のセンターだけでは面白くない」と
とんでもないことを考え、奇行に走ったのです。東京・神奈川のボウ
リング場をハシゴするという・・・。机の引き出しから面白い「ボウ
リング日記」を見つけました。ちょっとだけご紹介しますね。
1995.09.15
15:30 ハクラクボウル 3ゲーム 185・189・158
17:00 川崎Aボウル 3ゲーム 191・190・184
19:30 鶴見リバーボウル 3ゲーム 146・171・170
21:00 新杉田ボウル 3ゲーム 158・156・169
こんな「ハシゴ」をしていたんですね。もう笑うしかありません。
後日、追浜ヘルス・ボウルで慶応大学出身のNプロと深川のセンター
でよく練習をされていた、女子最多勝記録保持者のSプロと偶然にも
出会いました。Sプロからは「あらっ、こんにんちは。また会ったわ
ね。あんたほんと、ボウリング場荒らしね~」とお褒めの言葉(!?)
を頂戴いたしました。
そして・・・、2ヵ月後の1995年11月 5日。わたしは、東京ポート
ボウルと新杉田ボウルのトーナメントに初出場し、競技ボウリングを
実質的に再開したのでした。
Blog Ranking
↑If this article is quite good, will you please click?
会社帰りによく行きましたな~。
ボウリングだけでなく、当時珍しかったカラオケボックス(2人部屋くらいのやつ)とか、卓球とか、アーチェリーとか、バッティングセンターとか。
上大岡の「あかぷぅ」もよく行きましたね。
私はあそこで1度に8ゲーム投げたことがあります。自己記録。
川崎はヨドバシカメラ(現アウトレット館)になる前がボウリング場だったのを覚えてますか?
こちらも当時の事務所から徒歩5分だったので、よく会社帰りに行きましたよ。平日の午前中は1ゲームなんと100円だったんですよ。ヨドバシになるまで、最後まで「手書きスコア」のホールでした。
門仲は5年前までいた会社からは徒歩15分くらいだったんですが、こちらは行ったことなかったですね。
むしろ月島ボウルをよく使ってました。忘年会とかの宴会パックで。待ち時間の間の卓球はお約束でしたね。あと、ゲーム中の「セブンティーンアイス」。これも定番!!
ところで先日、日本テレビ系の夜の番組で、CASIOの小型計算機は、ボウリング場でスコアを手軽に早く計算できれば…という発想から生まれたという特集をやってました。
このごろはほとんど自動になってしまいましたが、ブームのころ、子供たちが一生懸命スコアを計算(暗算)していたのも、算数の学力向上に役立っていたのではないでしょうか。
それが自動では、日本人はどんどん数字に弱くなってしまいます。インドの子供たちは九九ではなく、99×99まで覚えているというではありませんか。
いまこそ、少年少女たちがボウリング場に来たら、昔のスコアシートを渡して、スコア計算も楽しんでもらうのはどうでしょう。
ちなみに小生の学連時代(3年だったか4年だったか)、京都で行われた全日本大学選手権で、スコア誤記でチームが失格になった苦い思い出があります。(責任逃れするわけではありませんが、小生はテレスコ記入にはほとんど関わらず、大声で相手のペースを乱すことに専念していました)
テーマが2つあるので分けてレスしますね。
まずハマ会館です。
ボウリング場(ハマボウル)は閉館ではなく
建て替え後、継続して営業するようです。
ただ、アイススケート場は閉鎖です。
ここ、有名人が出入りしていたんですよ♪
松坂大輔投手が横浜高時代にここのストラックアウトで
パーフェクトを達成したそうです。
それから、あの村主章枝選手もここのリンクで練習していた
そうですよ。
>上大岡の「あかぷぅ」
の近くにある「佐野金」によく行きました。
今は通勤経路が変わったので、たまに・・・。
>私はあそこで1度に8ゲーム投げたことがあります。
例の「軽いボール曲げ曲げ投法」でですか?
それはすご~い♪
>川崎はヨドバシカメラ(現アウトレット館)になる前がボウリング場だったのを覚えてますか?
イエ~ス・アイ・ドゥ!
入社1年目か2年目の年末にみんなで大師に初詣いったでしょ。
その時に行きましたよ。京急ボウル。
手書きでしたね。味がありました・・・。
>門仲は
ここでアルバイトしていたんですが
下町の風情がいいんです。
お客様もいろいろな人に会いましたね。
申込み帳に記名していただく方式なのですが
お相撲さんが来て「騏ノ嵐」って書いたのには
ブッ飛びました。
場内アナウンスで「ゲームお待ちの○○○さん」って
おまぬけ♪
で、足がでかくて合う靴が無いのですよ。
「タビ」で投げていただきました。
>むしろ月島ボウルをよく使ってました。
もしかしてエース・レーンでしょうか。
ここは今でも営業していますヨ。
深川のセンターでは
重鎮のIプロとそのご家族のかたには
特にお世話になりました。
こんなエピソードがあります。
正月休みでアプローチがすべりやすかったため
あるお客様が、なんと水をアプローチに撒いて
投球していたのです。
それをわたしが注意すると
そのお客様がわたしの胸ぐらをつかみ
一触即発状態になってしまったのです。ピンチ。
しかし、Iプロに穏便にその場を収めていただきました。
Sプロのご夫人のKプロと門仲の商店街で娘さん
と歩いていたところで出会い、Kプロから
「あ~ら、らばちゃん♪」
と声をかけられたのですが
一瞬、誰だかわからなかった想い出もあります。
テレスコは、記録するのも大変なのですが
実は、あれを洗い流すのにはコツが必要なのですね。
深川でそのコツを「習得」しました。
自動化といえば、プロ・ボウリングの公式記録は
どこまで「記録」「保管」されているのでしょうか。
各ゲームのスコアはもちろんのことなのですが
プロボウラーの公式ゲームとされるゲームすべての
「開催日時」
「トーナメント名」
「センター会場名」
「使用レーン」
「レーン・コンディション」
「各フレームの状況」(残りピン等)
等まで詳細に記録・保管されているのでしょうか。
どうも、他のプロ・スポーツと比較すると
「差」があるような気がしています。
実態はいかがでしょうか?
> の近くにある「佐野金」
今でも人気ありますね。
ラーメンが今みたいに大ブームになる前からここは盛況でした。
ほかに上大岡でラーメンといえば、旧東急(旧三越)の5Fにあった「サッポロ8」くらいなもんでした。
最近まで超人気店だった「いまむら」は川崎BEの地下に移転してしまいましたね。(馬車道にも支店あり)
ちなみに、上大岡にはボウリングブームの頃は他に2軒ボウリング場があったんですよ。
1つは、上記東急の6Fと7Fの2フロア。「ミスボール」というレーン。
もう1軒は、日揮跡のイトーヨーカドーと京急線路の中間あたりにもあったのです。後にダイエー(あかぷぅの隣にあったダイエーとは別物)となり、その後閉店。
赤い風船の屋上にはオートテニスとバッティングセンターが存在していた時期がありました。(ボルグ&マッケンロー全盛時)
> 例の「軽いボール曲げ曲げ投法」でですか?
そればかりだと、さすがにヒジ痛めそうなのでまともにも投げてましたよ。
もちろんガーダーは持ってません&ハウスボールで。
そのときに出した190ちょいってのが、私のベストスコアです。
京急ボウル。
> 入社1年目か2年目の年末にみんなで大師に初詣いったでしょ。
あ~。
やりましたね、始発が出る朝4時くらいまでやってたときでしたっけ。ヨドバシになるまでずっと手書きでしたよ。
> >門仲は
> お相撲さんが来て「騏ノ嵐」って書いた
凄いですね。
ディスプレイ画面に写される名前が、まるで取組表ですな。
> 足がでかくて合う靴が無いのですよ。
> 「タビ」で投げていただきました。
やはり「すり足」でしたか?
> もしかしてエース・レーンでしょうか。
確かそれです。
一昨年あたりも行きました。試験の帰りに。(笑)
さすが、上大岡界隈お詳しいですね♪
そういえば、井土ヶ谷のタニーボウルって?
ハウス・ボールで190はすごいと思います。
お相撲さんって左門豊作みたいに投げるイメージが
あるでしょ?
でも、違うんです。
やはり運動神経がいいから、タイミングの取り方が
上手なんですね。
「ひょいっ」と投げて「ス~ッ」とボールが走って
いきます。華麗です♪
で、確かに「すり足」でした。
エース・レーン。「試験」っていったい!?