今日で大学入試センター試験が終了しました。受験生の皆さま、今
ごろは「第一関門」にチャレンジした余韻が残っていることでしょう。
次の関門に向って、まずは体力・気力の維持管理に留意していただく
ことを切に願います。
私も「共通一次試験」という呼称の時代、この試験に「何回か!?」
チャレンジしたものです。実施時期は、今回と同様、1月の第三土曜
日と日曜日の二日間でした。受験した数回のフォーマットは、すべて
同一でした。1日目が国語・理科、2日目が社会・数学・外国語とい
う順番で試験が進行した記憶があります。「5教科7科目」を2日間
でこなすのには、けっこう骨が折れましたね。
時は移り、大学入試センター試験に呼称を変えてからも、季節がら
大雪に受験生は悩まされました。今年も北日本や日本海側地方で大雪
に見舞われ、開始時刻を繰り下げたりする処置が施されました。共通
一次元年も然りでした。1979年(昭和54年) 1月13日に第1回共通一
次試験が行われましたが、そのときの模様を伝える記事をご紹介いた
しましょう。
【毎日新聞社コラム 「昭和にかえりたい」より引用開始】
大学入試の抜本的改革をめざし、全国の国公立120大学が同時に
試験を行う第一回共通一次試験(大学入試センター試験の前身)は、
1979年1月13日正午から225カ所の試験会場で始まった。
この日、日本列島は雨や雪のところが多く、日本海側や関東地方は
雪となった。雪が降りしきるなか、試験が行われた東大本郷会場では
入場に手間取り、試験開始が20分遅れた。出願者は34万1875
人。受験生は前日からの旅館宿泊組も含めて午前10時半ごろから続
々と会場へ詰めかけた。
第一回共通一次試験の前夜、受験会場が福島市に集中する福島県で
は、同市に近い飯坂温泉の旅館が受験生の宿泊でいっぱい。受験生は
旅館の大広間で夕食を取った。
【同 引用終了】
初年度も雪だったのですね・・・。私の時もやはり雪が降りました。
その時は首都圏に在住していたのですが、慣れない降雪のために交通
機関が混乱していた記憶があります。
大学受験といえば冬。日本における学校側の「4月入学・3月卒業」
というサイクルに合わせると必然的に「その時期」になるのでしょう。
自然災害や天候不良による影響を受けた受験生は、全体でどのくらい
いたのでしょうか。トラブルという精神的ハンデを回避するためにも
受験生が「同じ土俵」でハードルにチャレンジすることができるよう
にすることが必要ではないでしょうか。
↑If this article is quite good, will you please click?
ごろは「第一関門」にチャレンジした余韻が残っていることでしょう。
次の関門に向って、まずは体力・気力の維持管理に留意していただく
ことを切に願います。
私も「共通一次試験」という呼称の時代、この試験に「何回か!?」
チャレンジしたものです。実施時期は、今回と同様、1月の第三土曜
日と日曜日の二日間でした。受験した数回のフォーマットは、すべて
同一でした。1日目が国語・理科、2日目が社会・数学・外国語とい
う順番で試験が進行した記憶があります。「5教科7科目」を2日間
でこなすのには、けっこう骨が折れましたね。
時は移り、大学入試センター試験に呼称を変えてからも、季節がら
大雪に受験生は悩まされました。今年も北日本や日本海側地方で大雪
に見舞われ、開始時刻を繰り下げたりする処置が施されました。共通
一次元年も然りでした。1979年(昭和54年) 1月13日に第1回共通一
次試験が行われましたが、そのときの模様を伝える記事をご紹介いた
しましょう。
【毎日新聞社コラム 「昭和にかえりたい」より引用開始】
大学入試の抜本的改革をめざし、全国の国公立120大学が同時に
試験を行う第一回共通一次試験(大学入試センター試験の前身)は、
1979年1月13日正午から225カ所の試験会場で始まった。
この日、日本列島は雨や雪のところが多く、日本海側や関東地方は
雪となった。雪が降りしきるなか、試験が行われた東大本郷会場では
入場に手間取り、試験開始が20分遅れた。出願者は34万1875
人。受験生は前日からの旅館宿泊組も含めて午前10時半ごろから続
々と会場へ詰めかけた。
第一回共通一次試験の前夜、受験会場が福島市に集中する福島県で
は、同市に近い飯坂温泉の旅館が受験生の宿泊でいっぱい。受験生は
旅館の大広間で夕食を取った。
【同 引用終了】
初年度も雪だったのですね・・・。私の時もやはり雪が降りました。
その時は首都圏に在住していたのですが、慣れない降雪のために交通
機関が混乱していた記憶があります。
大学受験といえば冬。日本における学校側の「4月入学・3月卒業」
というサイクルに合わせると必然的に「その時期」になるのでしょう。
自然災害や天候不良による影響を受けた受験生は、全体でどのくらい
いたのでしょうか。トラブルという精神的ハンデを回避するためにも
受験生が「同じ土俵」でハードルにチャレンジすることができるよう
にすることが必要ではないでしょうか。
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「Me,too!」でございます。
本文でも触れられていますが、確かに骨が折れましたね。
2日目終了時には不成績も手伝って虚脱感いっぱいだったものです。
今の受験生は知らないのですが、当時の予備校の模試は大変でした。
小生はYゼミに通っていたのですが、本番で2日かけて行う試験を
1日でやるのですね…朝9時から夕方6時まで5教科7科目。
若い当時でもこれには痺れました。
そして。(ここからが今回の本題)
この模試がなんと昭和58年11月の第1日曜日に有ったのです。
昭和58年の秋……
「ゲゲッ、○武×○人の第7戦がTVで見られんではないか!!」
Lファンとしてこの時ばかりは雨乞いをしました。
ホントにしました。
その結果、第7戦は雨天順延で月曜開催に。
日曜の模試も気が散ることなく実力?を出せたものです。(苦笑)
そうですか・・・。
そんな「おもひで」があったのですね。感動。
そのシリーズの第5戦でクルーズのサヨナラ本塁打に激怒し
池袋西口のサテンのテーブルを星一徹のようにひっくり返したわたしとは
大違いです。
「初めて」の共通一次試験のときには
オフコースの「さよなら」が流行っていました。
試験後。
もう終わりだね
マークシートがちいさく見える・・・
なんてね♪
そう、ニューミュージックの時代ですね!
この年の初頭はまさに花盛りでした。
オフコース「さよなら」
クリスタルキング「大都会」
財津和夫「Wake Up」
アリス「秋止符」
松山千春「恋」
いずれも個性ある曲で、今でも口ずさめます。
この時期は松田聖子や田原俊彦のデビュー直前で、
いわゆるアイドル路線の谷間のような時期でした。
(この時期はWingsの武道館……やめとこ)
懐かしいラインナップですね~♪
ウキウキしてしまいます。
これに
さだまさし「関白宣言」
海援隊「贈る言葉」
あたりが加わるでしょうか。
寺尾聰「ルビーの指環」
もこのあたりでしたっけ?