もうひとつの12月8日。いや「もうひとつ」という言い方は適切
ではないかもしれません。今から65年前、太平洋戦争がこの日に始ま
りました。ただ、それは4年後「終戦」を迎える始まりだったのかも
しれません・・・。
京滋地方に出張した12月 6日の夜、宿泊先でテレビを観ようと電源
を入れたら、NHKの『その時歴史は動いた』の活字が目に飛び込ん
できました。山本五十六元帥に関する内容です。
現在いろいろな文献を読んでみると、彼に対する評価は実に様々な
ことに気づきます。「軍人」としての生き様だけではなく、アメリカ
との戦争を回避するため、あの時代に軍に反抗した姿がそこにありま
した。彼のそのような言動は、とても印象に残るものでした。ここに
感銘を受けた言葉があります。
国大なりといへども 戦を好まば必ず亡ぶ
天下安んずるといへども 戦を忘るれば必ず危うし
このような先見性をもつ彼が、その志に反し「1941年12月 8日」に
連合艦隊司令長官としての任についていた事実に対しては、もう言葉
も何もありません。
この身滅ぼすべし、この志奪ふべからず。
山本五十六元帥が発したからこそ、ひじょうに意味の有る重い言葉
です。わたしの好きな言葉のひとつです。また、母校・長岡高等学校
(卒業当時は長岡中学校)での1939年の講演では以下のように述べて
おられます。(一部抜粋)
私は諸君に対し、銃をとって第一線に立てとは決して申しません。
あなた方に希望するところは、学問を飽くまで静かな平らかな心を
持って勉強し、将来発展の基礎を造って頂きたいと熱望する次第で
あります。どこまでも気を広く持ち、高遠なる所に目標をおいて、
日本のため進んでください。
1939年の時点でしたためられた遺書、母校の講演に見られる考え方
を持ちながらも、「私が長官であるかぎり真珠湾攻撃は必ずやる。そ
して、やるかぎりは全力を尽くす。」と真珠湾作戦を遂行しなければ
ならなかった山本五十六元帥。その時彼は、いったいどのように思い
をめぐらせたのであろうか。
彼の言葉は、格言として評価が高く、座右の銘としている経営者や
指導者も多いと聞きます。最後にあたり、「男の修行」を以下に掲示
させていただきます。
やってみせて 言って聞かせて
やらせて見て ほめてやらねば
人は動かず
苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう
不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう
泣き度いこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である
ふとしたご縁から、わたしは山本五十六元帥の長男でいらっしゃる
義正氏とお会いし、しばしごいっしょさせていだいたことがあります。
その場は「ボウリングの競技会」です。義正氏はボウリングもお上手
で、リーグボウラーとして元気に活躍されております。「NHK」に
投稿された「原稿用紙の筆跡」をご覧になられたかたも多いかと存じ
ますが、その美しい筆跡にただただ感服するばかりです。
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ではないかもしれません。今から65年前、太平洋戦争がこの日に始ま
りました。ただ、それは4年後「終戦」を迎える始まりだったのかも
しれません・・・。
京滋地方に出張した12月 6日の夜、宿泊先でテレビを観ようと電源
を入れたら、NHKの『その時歴史は動いた』の活字が目に飛び込ん
できました。山本五十六元帥に関する内容です。
現在いろいろな文献を読んでみると、彼に対する評価は実に様々な
ことに気づきます。「軍人」としての生き様だけではなく、アメリカ
との戦争を回避するため、あの時代に軍に反抗した姿がそこにありま
した。彼のそのような言動は、とても印象に残るものでした。ここに
感銘を受けた言葉があります。
国大なりといへども 戦を好まば必ず亡ぶ
天下安んずるといへども 戦を忘るれば必ず危うし
このような先見性をもつ彼が、その志に反し「1941年12月 8日」に
連合艦隊司令長官としての任についていた事実に対しては、もう言葉
も何もありません。
この身滅ぼすべし、この志奪ふべからず。
山本五十六元帥が発したからこそ、ひじょうに意味の有る重い言葉
です。わたしの好きな言葉のひとつです。また、母校・長岡高等学校
(卒業当時は長岡中学校)での1939年の講演では以下のように述べて
おられます。(一部抜粋)
私は諸君に対し、銃をとって第一線に立てとは決して申しません。
あなた方に希望するところは、学問を飽くまで静かな平らかな心を
持って勉強し、将来発展の基礎を造って頂きたいと熱望する次第で
あります。どこまでも気を広く持ち、高遠なる所に目標をおいて、
日本のため進んでください。
1939年の時点でしたためられた遺書、母校の講演に見られる考え方
を持ちながらも、「私が長官であるかぎり真珠湾攻撃は必ずやる。そ
して、やるかぎりは全力を尽くす。」と真珠湾作戦を遂行しなければ
ならなかった山本五十六元帥。その時彼は、いったいどのように思い
をめぐらせたのであろうか。
彼の言葉は、格言として評価が高く、座右の銘としている経営者や
指導者も多いと聞きます。最後にあたり、「男の修行」を以下に掲示
させていただきます。
やってみせて 言って聞かせて
やらせて見て ほめてやらねば
人は動かず
苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう
不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう
泣き度いこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である
ふとしたご縁から、わたしは山本五十六元帥の長男でいらっしゃる
義正氏とお会いし、しばしごいっしょさせていだいたことがあります。
その場は「ボウリングの競技会」です。義正氏はボウリングもお上手
で、リーグボウラーとして元気に活躍されております。「NHK」に
投稿された「原稿用紙の筆跡」をご覧になられたかたも多いかと存じ
ますが、その美しい筆跡にただただ感服するばかりです。
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中にはほめるのは気が楽だから簡単だという人もいますが、口先だけほめても見抜かれてしまう。
ほめて人を使えるようになれば一人前の管理者だと最近思います。
ほめ上手な人間になりたいな。
いずれ滅ぶぞ。
何につけても大事なことは
相手のことをよく知ることなんでしょうね。
特に後半の天下云々の解釈はとても重要ですね。