【写真:津軽海峡の日の出を「べが」から望む 1996年 8月27日撮影】
そして・・・1996年。この年は、社会人としてのキャリアにおいて
ひとつの大きな分岐点を迎えることになった。自責他責を問わずその
範囲はさらに広くなっていく。組織は個人にその能力を期待し、いっ
ぽう個人は組織の期待に応えようとひたすらがんばる・・・。
ふと集中力が途切れる瞬間。そんなとき、再び『北』に向う自分の
姿がそこにある。気がついていたら、今年も東北自動車道をひたすら
北上していた。
【訪問した温泉・施設(所在地)の一覧】
・ニセコ湯本温泉チセハウス(蘭越町)
・ビッグシップ(札幌市)★仮眠施設として利用
・豊富温泉ふれあいセンター(豊富町)
・生田原温泉ノースキング(生田原町)
・丸瀬布温泉翠明荘(丸瀬布町)
・相泊温泉(羅臼町)
・オソウシ温泉鹿乃湯荘(新得町)
この年8月~9月の行程を振り返ってみた。
26日(月)横浜→八戸→苫小牧
27日(火)苫小牧→ニセコ→小樽→札幌
28日(水)札幌→豊富→サロベツ原野→稚内
29日(木)宗谷岬→宗谷丘陵→北見→屈斜路湖
30日(金)屈斜路湖→相泊→納沙布岬
31日(土)納沙布岬→新得→室蘭
1日(日)八戸→横浜
今年は苫小牧港から支笏湖を経由しニセコへ向う。大滝村の道道は
国道 453号線に「変身」していたが、道のまわりの風景は変わってい
ない。壮瞥町から洞爺湖の東側の岸を反時計回りで進み、留寿都村、
真狩村を走り抜ける。ニセコ湯本温泉でTシャツを「硫黄染め」して
から神仙沼へ向った。快晴。静寂。
神仙沼(1996年 8月27日)
岩内町から神恵内村へ向う。国道 229号線を北上したいが、川白~
沼前間がまだ不通だ。国道が全通する前に西の河原を訪れようと思っ
たが断念。当丸峠越えで古平町に出てセタ・カムイラインを東進した。
札幌のスパ施設で仮眠後、オロロン・ラインを北上。いつもの場所を
目指す。
道道106号線のいつもの場所(1996年 8月28日)
豊富温泉を訪問した後、パンケ沼近くにあるという「名前の無い展
望台」を探索する。展望台の周辺には人ひとりいない。陽は西に傾き
夕暮れを迎える。この時期は利尻富士の左側に太陽が沈むことに気が
ついた。ちなみに、7月下旬~8月上旬の時期は、右側に沈む。太陽
を背にした利尻富士の藍色のシルエットが心にしみる。この感動的な
シーンを見てここに住み着いてしまう人の気持ちがわかるような気が
する。
サロベツ原野から利尻富士を望む(1996年 8月28日)
宗谷丘陵の中に一本の道を通そうとしているらしい。工事進行中だ。
将来的には大岬から小石を経由して石炭別・上問寒へつなげるという。
宗谷丘陵の景色は牧歌的である。道が開通するおかげで、このような
景色に出会えることはうれしいことではあるのだが・・・。
宗谷丘陵(1996年 8月29日)
この後は道東を「巡回」後、国道 274号線の樹海ラインが開通した
ことにより、新得から日勝峠経由で室蘭港へ向った。今回は室蘭から
八戸の経路を選択した。八戸着は翌朝の3時~4時というタイミング
になる。この頃、まだ白鳥大橋は開通していなかった。
室蘭港から測量山を望む(1996年 8月31日)
◇◆◇
あいかわらず慌しい旅である。前回「真の安息は、まだまだ先」と
コメントしたが、そんなに急ぐことはない。やや逆説的になるのだが
「急がば回れ」。それも人生だ。
あと、またチセハウスが入ってるね(^^;;;
うんにゃ。まだまだ♪
なのでこれから先は人物入り画像掲載を
自粛させていただきます。
ちょっと加工するかも♪
この年を最後にチセハウスは行かなくなった
かなあ・・・(^^;
この頃は「その温泉に入る」のではなく
「走っていて温泉を見つけたら入る」
でしたもんでね。
10年くらい前まではインターネットで「宗谷丘陵」と検索かけてもほとんどヒットしなかったのですが、今ではかなりの数がヒットします。そしてらばさんと同じくその大規模林道を走破レポートしたブログなどもあったりで、最新の状況が逐次わかるくらいまで有名化しています。
その存在を知ったのは、かの有名な地図歩きの第一人者、堀淳一さん著、「オホーツク」~地図と歴史を歩くシリーズ~(そしえて刊=現在絶版)を見てのもので、地形図を片手に当時ダートの道しかなかったこの地帯を歩きながらの紀行文に衝撃を受けました。「こんな風景がまだ日本に存在するんだ!」というインパクトはでかかったですね。
この書は昭和59年発刊。この当時既に宗谷丘陵が紹介されているんですよ。おそるべし堀氏・・・・。
「是非行ってみたい!」と思いつつ、当時はペーパードライバーであったため、宗谷岬までは路線バスで訪れたものの、その先の手段がありませんでした(とても歩き回るだけの時間と準備がなかった)が、そしてようやく私が最初に訪れたのは1990年前半。感動でしたね。個人的には北海道の中でも1~2を競う景観だと思っています。
その後も2~3度訪れていますが、ここ5~6年ほど行っていません。そろそろまた林道の続きを確かめに訪れたくなってきたところです。
しかし、最近になって、大規模な風力発電装置が建設されたとのこと。巨大な人工的建造物がいくつもできてしまったことは大変残念です。
宗谷丘陵を初めて訪れたのはたしか1994年だったかと
記憶しています。
地理学では「周氷河性波状地」というそうです。
周氷河地形とは、昼と夜の温度差によって土壌中の
水分が凍結と融解を繰り返した結果によってできる
特徴的な地形の総称です。紛らわしいことに、これ
は氷河による地形ではなく、氷河が存在した周辺の
寒冷地域に見られるものです。そのうちの、周氷河
性波状地は、周氷河作用で土壌が面状にはがされ、
その結果起伏が平面化して波状になったものです。
堀淳一さんはすでに1984年の発刊の著書で宗谷丘陵
を紹介されいるのですね。
その年、わたしは初めて北海道を訪れましたが
豊富温泉から浜頓別への移動ですら躊躇していました。
そんな時代・環境の中、宗谷丘陵を紹介された
堀氏は偉大です。
・・・
昨年は訪れておりませんが、どのように変化している
のか、現場で確認したいと思っています。