のっけから前のめりに言い切ったタイトルだが、これにはどう頑張っても覆せない理由がある。
それはずばり、黄金比により近いからだ。
黄金比といえばテレビ画面の16:9というのを思い出すだろうが、実はこれが人間の顔にも存在しているという。
具体的な数値を出すと大変細かく、また100%黄金比の顔という人もいないが、この比率に近いほど美しいというのは太古より普遍の原則なのである。
世界3大美女のクレオパトラをはじめ、モナ・リザやオードリーヘップバーンが、最も黄金比に近い顔を持つと言われている。
まあクレオパトラについては写真があるわけでないしモナ・リザも実在かどうかわからないとしても、オードリーの美しさについては誰もが認めるだろう。
ヘップバーンをブスだなんて言う人は、限りなくゼロに近いはずだ。
そう考えると日本人をはじめ、東アジアに多い平たい顔は、残念ながら黄金比からは外れている。
事実、アジア人でも美しい(ここでは単純に造形がとして)とされている人は、やはりこの黄金比に近い。
日本人なら佐々木希や橋本環奈と言ったスーパー美女たちも例外ではない。
もっと言うなら吉永小百合など、昭和に活躍した女優たちにも同じことが言える。
じゃあなぜ平安時代は今とは全く異なる顔立ちが美しいとされていたのか?
それは単純に、当時の日本人に顔面黄金比という概念がなかったから。
まず白人がそもそも周りに存在しないのだ。
ただでさえ外見が単一化されている中で、肌の美しさだったり仕草や雰囲気だったり、それ以外の要素が十分に美男美女であればそれだけでもう美しいとされてきたのだ。
もし当時も今のように白人がワンサカいたならば、小野小町が絶世の美女と認定されたかどうかはあやしいところだ。
そんなことを言うとなんだか身もふたもないように聞こえるだろう。
しかしじゃあ平たいアジア顔が決してブスなのかというと、そんなことはまったくないから安心して大丈夫だ。
事実、アメリカやヨーロッパで活躍する俳優やモデルの中には、いわゆるアジアンビューティーとして大人気の人がたくさんいる。
彼らの周りでは逆に珍しいため、大いに魅力的に映るのだ。
また仮にものすごく下品な黄金美女と、ものすごく上品な平安美女がいたら、モテるのは結局後者だ。
どんなに美しくても、それ以外が壊滅的だと返って破壊力がえげつない。
だから黄金比フェイスからは悔しくも遠くても大丈夫、白人が美しいのは仕方がないにしても、外見だけで人を愛することはおろかなくらい人間の知能は進化しているんだからね。