1968年2月、20歳の時に泊まった山小屋が雪崩に襲われ潰されました。右前腕の上に胸が有り、背中の上には暗闇が覆いかぶさっていました。隣に寝ていた友人の「苦しい」と言う声が聞こえましたが、身動き出来ず答えられませんでした。私だけが助け出され、友人と山小屋のご主人夫婦が亡くなりました。私は二週間の止まらない下血、右前腕の筋肉の壊死、それでも半年後には職場に復帰できました。自分だけ助かったという負い目、輸血で助かった副反応が私を苦しめました。
30歳頃、肝炎が発覚し結局はC型肝炎と言われ、57歳の時にペグインターフェロンとリバビリンの併用治療に挑戦しました。副反応の強い治療だったので、定年退職してからで良いでしょうと思いましたが、医者は「するなら今でしょ!」と言いました。幸い肝炎は完治しましたが、やはり強い副反応で仕事へのモチベーションを無くしてしまいました。延長再雇用する同僚が多いなか、わたしは、定年であっさりと、退職しました。
67歳の時、脳出血。それでも幸せに生きてきました。
とうとうやって来ました。74年間生きて来た、悪行の祟りが・・・
先日、しぶとく退院してきました(笑)
我家の自慢?の和室には、無粋な介護ベットが置かれ、病人部屋になってしまったわ・・・。そうそう、コロナのワクチン。入院する前に市の集団接種を予約していましたが、入院でキャンセル。二軒目の転院先の病院で、何とか打てないかと頼んだら、一回目はナースステーションの隅で打って呉れた。退院後二回目の注射をその病院の外来で打ってきました。
病院の仕組みがよく分らん!
かかりつけ医をたらい回しされ、たどり着いた大病院では、もう手遅れ。手術を受けたが、暫くすると、「うちは、急性期の患者を診る病院だから、回復期のリハビリ病院へ変わってくれ!」といわれた。四カ月にわたる入院生活の末、やっと自宅に戻りました。ふ~う! やっと落ち着けるかと思ったが、ケアマネジャーやら、福祉機材の業者がいっぱいやってきて落ち着かん! 身体は不自由になってしまったけれど、まだ生きている!!!
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