地震速報の直後、電車は最寄りの釜淵駅に着いた。乗っていた電車にも乗客にも、何の被害もなかった。
釜淵では行き違うはずの下り電車が地震の影響で遅れていて、しばし足止めを喰うことになる。もっとも、本当に状況が酷ければ、遅れるどころか止まったままになるはずだ。遅れているだけならマシということである。
下り電車が到着し、釜淵を発車できたのは7分遅れのことだった。その後遅れは拡大も縮小もせず、終点新庄に着いたのは15時21分、7分の遅れのままであった。
新庄に着いてみると、改札付近がごったがえしている。地震の影響で東北新幹線が全線ストップしたというので、足止めを喰った人でいっぱいになっているのだ。
運転再開には相当時間がかかるらしく、日にちに余裕のある人は明日以降のご旅行を、というアナウンスすらしている。地震自体の被害情報が入ってない割に、とんでもないことになっている。
ただ、これはあくまで新幹線の話。私が乗るのは普通列車で、こちらは動くらしい。乗車予定の山形行が出るのはだいたい50分後。私まで慌てる必要もない。駅前にそば屋があったので、少し時間を潰すことにした。
駅に戻ってみると、新幹線が山形まで運転を再開した、という話が入ってきた。発車が遅れていた新幹線が山形まで運転され、山形で東京行に接続するらしい。
ほんの2,30分前の話だと、今日一日は諦めてください、ぐらいの勢いだったのに、簡単に話が変わるものだ。私は駅にいたからいいものの、旅行を本当に取り止めてしまった人は、たまったものではあるまい。
ともあれ、私はあくまで普通に乗るのだ。時間から考えて、新幹線が先に発車、私の乗る電車が出るのはその後だ。まずは普通電車に乗り込んで、発車を待つことにした。
ところが、発車時刻を過ぎても電車が出る気配がない。それどころか、先に発車しそうなはずの新幹線が止まったまま、場内アナウンスを聞いても動きそうな気配がない。
発車時刻から10分が過ぎ、15分が過ぎ、20分が過ぎた。これはいよいよ厄介なことになったかも知れない。山形では空港行の乗合タクシーを予約しているのだが、これに乗り遅れたら空港までの足がなくなってしまう。
普通電車の車掌に聞いてみると、電車が出るのはやはり新幹線の後とのこと。それはそうだ。先に普通を通しても、どこかで新幹線が追い抜くことになるだけなのだから。
たださらに話を聞くと、これまた当然だが山形発のダイヤも乱れていて、上り下りの行き違い待ちで山形に着くのがさらに遅れる見込みらしい。
なんてこった。これでは普通が出るのを待っていられない。最後の最後に山形までの特急券と運賃は痛い出費だが、航空券を買い直すよりはマシと思うよりほかない。発車待ちの新幹線に急いで乗ることにした。
結局、山形行のつばさが新庄を出たのは16時46分。当初の発車時刻から1時間20分ほど遅れてのことであった。
新幹線は通路にも人があふれるほどの大混雑。これに乗るしかない人が多いのだろう。ただ、さらに遅れることはなく、順調に飛ばしていく。その分普通電車があおりを喰っているだろうことは、容易に想像がつく。
さらに途中でアナウンスがあり、行先が山形から福島に変更になったということであった。私に直接関係はないが、それでも山形での乗り換えを免れた人にはありがたかったことであろう。
そして山形駅に着いたのは17時半。乗合タクシーの発車時間はだいたい17時50分だったから、一応余裕をもって到着できたことになる。カネはかかったがこれで良かった、と思うよりほかない。
しかし、である。鉄道のダイヤがこれだけ混乱しているということは……飛行機は、ちゃんと飛ぶのか?
また携帯が揺れた。しかし今度は緊急地震速報ではなく、航空会社からの電話であった。
聞いてみると、山形から伊丹に飛ぶはずの機材が羽田から来ることになっていたはずが、羽田付近の天候不良で遅れているために、伊丹行の便を飛ばすことができなくなったらしい。
伊丹空港は周辺自治体との申し合わせで、飛行機の離着陸が夜9時までに制限されている。この時間に間に合わないとなれば、伊丹への飛行は、その日は諦めるしかないのだ。
そこで、伊丹行の代わりに関空行の臨時便を運航することになったという。出発時間は伊丹行の予定時刻から1時間20分遅い。当然大阪に着く時間も遅れるが、帰れるのなら文句はない。迷わず予約変更をお願いした。
さて、そうなると山形での時間ができる、といいたいところだが、乗合タクシーの時間には変更はない。結局ほとんど当初の時間と同じぐらいに山形駅を出て、空港に向かうことになった。
空港に着いて搭乗手続きを済ませると、あとは小さな空港のことで、見るところも限られている。売店を時間をかけて歩き歩き回ろうとするが、飛行機の出発時間は関係なしに閉店になるときた。
仕方なく土産物だなんだを買い、夕飯を食べてしまうと、あとはすることがなくなってしまう。搭乗時間まで手持ち無沙汰な時間が続いた。
ただ幸いなことに、搭乗は遅れなく始まり、トラブルもなく機上へ。そして私が5日間走り回った東北各地を飛行機は離れ、関空へと飛び立った。
こうして今回の私の旅は終わった。関空からの帰りは、わざわざ書くこともなかろう。
しかし、次の旅、次の次の旅、次の次の……次の旅は、これからまだまだある。いや、なければならない。
先ごろ十和田観光鉄道の存続が絶望的になったというニュースが流れた。今回の旅で一時は訪問を検討しながら、旅程の組み方を考えるうちに断念した旅先だ。
存続が危ぶまれている鉄道は、他にも決して少なくない。それらがまだあるうちに訪れておかないと、永遠に失われてしまうかも知れないのだ。
鉄道だけに限らない。このくにには訪れるべき街や村がいくらでもある。
美しく、豊かで、しかしこのままでは消えてしまいかねない風景を、人々の暮らしの息吹を、そして、それらを受け継ぎ、伝えていこうと人々の努力。
私はそれらを、せめて自分の目で見て、足で歩いて、知るところから始めなければならない。
私は、もっとこのくにを旅しなければならない。まだ見ぬ鉄道を足掛かりに、このくにのさまざまな土地を知りに行かなければならない。
そして、そんな思いを、私だけのものに終わらせてはならない、とも強く思う。何も東北に限らない。まずはこのくにの各地を旅してみようか、と思う人が少しでも増えれば、それ以上の喜びはない。
山形鉄道・宮内駅前の酒屋で買った日本酒「兎の宴」。駅長もっちぃもまた、地域を盛り上げていきたいという思いが生み出した産物である。
釜淵では行き違うはずの下り電車が地震の影響で遅れていて、しばし足止めを喰うことになる。もっとも、本当に状況が酷ければ、遅れるどころか止まったままになるはずだ。遅れているだけならマシということである。
下り電車が到着し、釜淵を発車できたのは7分遅れのことだった。その後遅れは拡大も縮小もせず、終点新庄に着いたのは15時21分、7分の遅れのままであった。
新庄に着いてみると、改札付近がごったがえしている。地震の影響で東北新幹線が全線ストップしたというので、足止めを喰った人でいっぱいになっているのだ。
運転再開には相当時間がかかるらしく、日にちに余裕のある人は明日以降のご旅行を、というアナウンスすらしている。地震自体の被害情報が入ってない割に、とんでもないことになっている。
ただ、これはあくまで新幹線の話。私が乗るのは普通列車で、こちらは動くらしい。乗車予定の山形行が出るのはだいたい50分後。私まで慌てる必要もない。駅前にそば屋があったので、少し時間を潰すことにした。
駅に戻ってみると、新幹線が山形まで運転を再開した、という話が入ってきた。発車が遅れていた新幹線が山形まで運転され、山形で東京行に接続するらしい。
ほんの2,30分前の話だと、今日一日は諦めてください、ぐらいの勢いだったのに、簡単に話が変わるものだ。私は駅にいたからいいものの、旅行を本当に取り止めてしまった人は、たまったものではあるまい。
ともあれ、私はあくまで普通に乗るのだ。時間から考えて、新幹線が先に発車、私の乗る電車が出るのはその後だ。まずは普通電車に乗り込んで、発車を待つことにした。
ところが、発車時刻を過ぎても電車が出る気配がない。それどころか、先に発車しそうなはずの新幹線が止まったまま、場内アナウンスを聞いても動きそうな気配がない。
発車時刻から10分が過ぎ、15分が過ぎ、20分が過ぎた。これはいよいよ厄介なことになったかも知れない。山形では空港行の乗合タクシーを予約しているのだが、これに乗り遅れたら空港までの足がなくなってしまう。
普通電車の車掌に聞いてみると、電車が出るのはやはり新幹線の後とのこと。それはそうだ。先に普通を通しても、どこかで新幹線が追い抜くことになるだけなのだから。
たださらに話を聞くと、これまた当然だが山形発のダイヤも乱れていて、上り下りの行き違い待ちで山形に着くのがさらに遅れる見込みらしい。
なんてこった。これでは普通が出るのを待っていられない。最後の最後に山形までの特急券と運賃は痛い出費だが、航空券を買い直すよりはマシと思うよりほかない。発車待ちの新幹線に急いで乗ることにした。
結局、山形行のつばさが新庄を出たのは16時46分。当初の発車時刻から1時間20分ほど遅れてのことであった。
新幹線は通路にも人があふれるほどの大混雑。これに乗るしかない人が多いのだろう。ただ、さらに遅れることはなく、順調に飛ばしていく。その分普通電車があおりを喰っているだろうことは、容易に想像がつく。
さらに途中でアナウンスがあり、行先が山形から福島に変更になったということであった。私に直接関係はないが、それでも山形での乗り換えを免れた人にはありがたかったことであろう。
そして山形駅に着いたのは17時半。乗合タクシーの発車時間はだいたい17時50分だったから、一応余裕をもって到着できたことになる。カネはかかったがこれで良かった、と思うよりほかない。
しかし、である。鉄道のダイヤがこれだけ混乱しているということは……飛行機は、ちゃんと飛ぶのか?
また携帯が揺れた。しかし今度は緊急地震速報ではなく、航空会社からの電話であった。
聞いてみると、山形から伊丹に飛ぶはずの機材が羽田から来ることになっていたはずが、羽田付近の天候不良で遅れているために、伊丹行の便を飛ばすことができなくなったらしい。
伊丹空港は周辺自治体との申し合わせで、飛行機の離着陸が夜9時までに制限されている。この時間に間に合わないとなれば、伊丹への飛行は、その日は諦めるしかないのだ。
そこで、伊丹行の代わりに関空行の臨時便を運航することになったという。出発時間は伊丹行の予定時刻から1時間20分遅い。当然大阪に着く時間も遅れるが、帰れるのなら文句はない。迷わず予約変更をお願いした。
さて、そうなると山形での時間ができる、といいたいところだが、乗合タクシーの時間には変更はない。結局ほとんど当初の時間と同じぐらいに山形駅を出て、空港に向かうことになった。
空港に着いて搭乗手続きを済ませると、あとは小さな空港のことで、見るところも限られている。売店を時間をかけて歩き歩き回ろうとするが、飛行機の出発時間は関係なしに閉店になるときた。
仕方なく土産物だなんだを買い、夕飯を食べてしまうと、あとはすることがなくなってしまう。搭乗時間まで手持ち無沙汰な時間が続いた。
ただ幸いなことに、搭乗は遅れなく始まり、トラブルもなく機上へ。そして私が5日間走り回った東北各地を飛行機は離れ、関空へと飛び立った。
こうして今回の私の旅は終わった。関空からの帰りは、わざわざ書くこともなかろう。
しかし、次の旅、次の次の旅、次の次の……次の旅は、これからまだまだある。いや、なければならない。
先ごろ十和田観光鉄道の存続が絶望的になったというニュースが流れた。今回の旅で一時は訪問を検討しながら、旅程の組み方を考えるうちに断念した旅先だ。
存続が危ぶまれている鉄道は、他にも決して少なくない。それらがまだあるうちに訪れておかないと、永遠に失われてしまうかも知れないのだ。
鉄道だけに限らない。このくにには訪れるべき街や村がいくらでもある。
美しく、豊かで、しかしこのままでは消えてしまいかねない風景を、人々の暮らしの息吹を、そして、それらを受け継ぎ、伝えていこうと人々の努力。
私はそれらを、せめて自分の目で見て、足で歩いて、知るところから始めなければならない。
私は、もっとこのくにを旅しなければならない。まだ見ぬ鉄道を足掛かりに、このくにのさまざまな土地を知りに行かなければならない。
そして、そんな思いを、私だけのものに終わらせてはならない、とも強く思う。何も東北に限らない。まずはこのくにの各地を旅してみようか、と思う人が少しでも増えれば、それ以上の喜びはない。
山形鉄道・宮内駅前の酒屋で買った日本酒「兎の宴」。駅長もっちぃもまた、地域を盛り上げていきたいという思いが生み出した産物である。
私の知人で、東北方面出張の多い人は山形からの帰り、なぜか「ああそういえば福島○○のポイントの期限がもうすぐ切れるんだった」と下車して寄って、福島駅で震度5強の地震にあってしまい、新幹線も不通で、「ああ、降りずにまっすぐ帰っておれば」と後悔したそうです。結局3時間待って、やはりギュウギュウヅメの新幹線で帰ったとのこと。
私も刺激を受けて、今年は積極的に出かけています。
結局はさしたる問題もなく済んだのですが、一時は本当にどうなるかと……
この冬にはまた時間ができると思いますので、夏ほど期間は取れないにせよ、
どこかに出掛けたいなと考え中です。
秋田の酒造会社が酒蔵開放を実施します。
もし時期が会えば是非。
私が常宿にしている、温泉付きのホテルも紹介いたしますので。
年明けだと、時期によって自由が利く時とそうでない時が極端に分かれるのですが、
酒蔵開放と聞いて興味が出ないわけはありません(笑)